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あかんやつだった

常勤換算で人員を図ると、絶望的に人がいないわけではない。が、その日のリーダーナースを務める人が2人しかいないもんで、なかなか休みが取りづらい。

以前は、パートさんでも派遣さんでも「何でもやるよ。」という人がいればやって貰っていたし、自分も派遣時代から何でもやった。

ところがドクターとのやり取りやご家族との関わり、多職種との連携を嫌がる人が多くて、その方々には主に処置番や他科受診を請け負って貰っているのだが。

昨今「なんか、処置や受診ばっかりで嫌になっちゃう。」と仰る人がいる。

あ、じゃあ、リーダーやってくれる?私、受診にお連れするし処置もやりますよ。

そういうと「それは私の仕事じゃないので。」。

・・・・・・・・・。これはいったいどういうことか。いったい何だったらやるんだ。おのれは。

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忙しいと、仮病を使うお婆ちゃんがいる。仮病の常習犯と言えども、オオカミ少年状態で本当に辛い時に気が付いて貰えないなんてことにならないように、全バイタルを測る。いちいちじっくり観察する。

が、途中で「嘘だよ。」と。

最近、それを私が帰る間際にやることが多くなった。大絶叫してハアハアと息を切らして「苦しいよおう!ああ!苦しいよおおう!助けてよおおおう!」。

はっきり言って、とても嫌である。イラっとする。寂しくなる度にいつもこれをやるわけだから。

で、実はこういうタイプの人は、少なくない。寂しいときに、普通に人と関われなくて、出来れば強く深く関わりたくて、最上級の心配を求める。世界で一番自分に注目して欲しい、愛して欲しい!という心理。

でも、やはり、本当に苦しいのかも知れないのでバイタルを測定して先生に指示を仰ぐべく連絡している途中で「嘘だよーん♪」と。

ある時は、怒りをぶつけるという方法で注目を集めようとして来る。些細なことで大激怒してイライラをぶつけてきている。これも、激しいストロークをぶつけて、相手からもぶつけられたい、白熱したい!という気持ち。その時だけは、忘れていられる。何か心を寂しくするものから逃げていられる。そんな孤独の埋め方。

「こんなところ出て行って娘の近くに住んでやる!娘に今すぐ電話しろ!」

自宅でもさんざんこれをやって来て、おそらくは日々お勤めしている家族のことを、こうして夜中に叩き起こしていたのだろう。そして病院へ連れていけ!と騒いだのだろう。

そんなやり取りも何十回やったろうか?というある夜の帰り際のこと。

思わず、私は素で言ってしまった。

「娘の自宅か、近所に住むから、前みたいに住むから。そしたら病院に連れて行ってもらえるから、こんな施設出ていく!」と彼女が言ったその時。

「そんなことするから、娘さん、嫌になっちゃうんでしょ?へとへとで看切れなくなってここに預けたんでしょう?」と素で言ってしまったのだ。

そのあと、その方は特にその言葉に注目することなく「腹が減ったから煎餅買って来てよ。」と全然別の話に移行した。いや、聞こえたからこそ反らしたのかも知れないが。

が、何だか、あれから、ふと気づくと、ずっと考えてしまっている。何で、あんなことを言ってしまったかな?と。

私の家族ではない。礼儀が必要だ。こちらのことを分かってもらおうとするあまり、全てを話そうとするのは、入り込み過ぎだ。

人には、大切な妄想があり、一時的にそれを持ち、信じ込み、その時期を生き延びる。その妄想は、大切なものであるという場合がある。

それを壊して、普通のことを言って、分からせようなんてしていた自分を思い出して、繰り返し落ち込んだ。申し訳ないことをした。

彼女はただ、優しくして貰いたいだけだったのだから。やり方には問題あるけど。

反省だ、反省だと自責している。愛のない言葉を吐いた自分を酒飲んで、山芋シャクシャク食べつつ自責している。

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