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ブルーマインド(思春期の恐怖とアルケミー)

ブルー・マインド(2017年 スイス)

両親の仕事の関係で新しい街へと引っ越してきた15歳の少女・ミア。親の都合に振り回されることへの苛立ちと、大人の女性へと変わっていく自分自身への言いようのない不安の中、ミアはクラスでも目立つ存在のジアンナたちと仲良くなる。アルコール、 万引き、男の子たち、ミアは憂鬱な気持ちを振り払うように、仲間たちと悪い遊びに手を染めていく。そんな中、彼女は決定的な体の変化を感じ始める。しかし、それは明らかに「成長」と言うにはあまりに不気味で、不自然なものだった。果たしてミア の身に一体何が起こっているのか?彼女を待ち受ける過酷な運命とは?

ジャンル的にはホラーかな?と思って観始めたのだけど、そんなに怖くはない。

沢山の賞を取っている映画なので少し期待していたのだけど、私には、やっぱり芸術的センスがないのだなあと痛感した作品でもあった。この人生の中で、自分は右脳的な人間だと思い込んでいたのだけど、あら、違ったのね?と思い知らされた。

まずは、主人公がパニックになっているシーンが長過ぎるので、正直言って辟易。どこに辟易しているのか?と言うと、『そんな大変なことになっているんだったら、もうちっと徹底的に原因を調べたり理解したりせねば!』と、どうしてもロジカルさを求めてしまうんだよなあ。

もちろん自分の身体がそんなことになっているのならパニくるでしょ?という共感を求められていることも分かる。だからジャンルがホラーなんだろう。そうそう、誰だってパニックになる。でも、長いの。時間が迫っているんだから、しかも、自分ではどうにも出来ないんだから早いところ周りに相談しなさいよと思ってしまうのだ。

唐突だけど、かつての名作『ザ・フライ(1986年 アメリカ)』は、何故面白かったのか?

同じく人間の身体に異変が起こって行く物語ではあるが、その”異変&変態”の理由が明白だったからだ。なるほど、なるほど、”そういう理由でハエになってっちゃうわけだ!”という理解がそこにあったから、『じゃあ、もうどうしようもないね。仕方ない!』と安心して怖がっていられた。

しかし、今回のブルーマインドの場合だと、何で自分が魚になっちゃうのか?って理由がさっぱり分からない。調べ方も半端で真相も明らかでないのに、酒飲んで薬やってる場合じゃないでしょ?あと、セックスで誤魔化せるわけあるか!と思うのだ。

ただ、見終わってしばらくすると、視聴者である自分の心情や観方に変化が現れて来るのを感じた。さすが、名作だと後から気が付いたのだ。↓

なるほど・・・。何だか分かって来た。

初潮と共に足の指がくっついて来て、魚に変わって行く。確かに、理由が分からない上に、理不尽この上ない。

しかし、主人公は、この理不尽さを受け容れる。

思春期の不安定な時期に、”何故、自分は親と似ていないのだろう?何故、こんなにも異質なのだろう?”と思う人は多い。

友人たちの前で強がったり見栄を張ったり、女王的な存在の女友達に憧れや嫉妬を抱くこともあるかも知れない。自分だけが周りと違って孤独だと思い込むかも知れない。いや、実際にそうなのかも知れない。

しかし、この物語の中では、皮肉なことに、自分の身体が魚のように変態していけばしていくほどに、そして、そんな自分の運命を受け容れれば容れるほどに、最初は遠くでキラキラしているかのように見えていた人物たちと親密になって行く。

親や友人。学校。集団生活。ああしなければならない、こうしなければならない。窮屈だけれど、安心感があった関係の山。

最終的に少女は、それら全てと決別し、大海原へ旅立って行く。そこは、自分しか居ない真っ暗な海。でも、自分で泳いで進んで行くしかない。孤独だよ。でも、少女は、決めたのだ。

頭で理解しようとするとつまらない物語が、意外にも時間差で映像を伴って素晴らしいメッセージを伝えて来ることがある。

これは、もしかしたら、ホラーであってホラーでない。特別であって特別でない。男でも女でも、どんな人にも起こりえる思春期の恐怖。それは、自分が何者なのか?をありのままに知って行く恐怖だ。

あたかも違う自分になるかのようでいて、実は、本当の自分自身を見つけ受け容れて行く人間の、ちょっぴりエロティックでホラーな物語なのかも知れない。

大海原へと旅立った少女の幸福を祈る。人生は思うほど孤独ではない。

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