Mちゃんとその娘たち
なるべく有休を消化したいなと思う退職間際なのだが、施設には、現在お看取り間際の方々が2名ほどいらした。
この施設での深い思い出の一つに、ご家族の方々と交わしてきた会話や、共に過ごした日々がある。
病院勤めの頃も、もちろんご家族との関係性はあったものの、それほど深くなかった。それは、ある程度病院という世界のルールにご家族様が従って下さっていたからだった。こちらもそれを何の不思議にも思わなかった。
仕事云々ではなくて、私自身が人様と関わるのが苦手な人間だと思い込んでいた。
さらにはその延長線で、特に”家族”の方との関わりが苦手だと思っていた。
ところが、そうもいかず、この6年間は本当に多くのご家族の方々と込み入った話をした。まるでカウンセリングのような時間もあれば、近況を知らせて下さるラインが来たりと色々だった。
そして、俗にいう”うるさいご家族”も沢山いらっしゃった。
ご利用者様もそうなのだけど、こういうご家族に限って仲良くなってしまう。
もちろん物凄く嫌な思いをしたり喧嘩に近いトラブルもあったのだけど、どうしたことか、気持ちに沿って一緒に爺ちゃんや婆ちゃんを見て行くうちに互いに変わって行くんだよね。きちんと聴いてみると、俗称の”うるさいご家族”なんぞではありません!というのが発覚する。
ところで昨日、Mさんは、朝、唸り声をあげていた。
どうしたの?苦しいの?痰が溜まっているの?
吸引をしたあと、唸り声はなくなり、穏やかな息になったのでほっとする。
意識レベルは200~300なので聞こえていないのかも知れないが「どーしたの?さっきは痛かったの?声がやんだということは、今は楽なんだね。痰はそんなに溜まってなかったねえ?」等話しかける。
もう何年も頑張っている人だった。今日か、今日こそ旅立たれるのか?と皆に思われながら。
楽な呼吸に変わってから、点滴を交換しているときのこと、Mさんが、一つ、大きな深呼吸をした。
「どうしたの?」と、その顔を見た。「あ、Mちゃん?Mちゃん?」と声をかける。でも、もう大きな声は出さなかった。
長女さんご一家、次女さんご一家をすぐさまお呼びした。
沢山すったもんだして来た方のご家族だった。
しかし「ありがとう。Ohzaさんがいてくれて良かった。」と、ビショビショの涙顔で仰った。
ご利用者様とのお別れは、ご家族様とのお別れでもある。私たちは、そこにも涙を流す。
ありがとう。さようなら。お元気でいらして下さい。
でも、またどうか、お立ち寄り下さいねと約束を交わす。
出会いでガチンコぶつかって、途中もガチンコぶつかって。時にはモヤモヤして、最期は心相手のことを思う。さよならなのか?
そこから先は、誰の子供でもない、職員でもない、ただ一対一の人間関係の始まるだ。
皆に愛し倒されたMちゃんは大きく一つ溜息をついた後、その呼吸を止めて、口角をあげていた。穏やかな最期だった。