アドバンスケアプランニング
いつぞや書いたことがあると思う。身寄りのない方が難病疑いで提携病院から『紹介状を書いてあげるから自分たちで病院見つけて受診しなさい。』と言われた。
しかし、連れて行った先は高度医療を提供する病院。そりゃそうだ。難しい病気を診て貰うところだからだ。
何時間も待って診察してもらったが入院させて貰えなかった。『うちの治療をする前に肺炎を治してから来て欲しい。』と病院同士が互いをディスって、そのうち別の病気の発作を起こして意識不明になった。
この現象というのは身寄りがない人や高齢者に興味を持てない医師や日本の医療が起こしている愚行。
それは良いのだけど、2年ほど前のご意向を記した書類があって、そこには施設で最後を迎えたいとあった。しかも、口から食べれなくなったら胃婁や高カロリー輸液などしないで最後を迎えたいとも。
意識不明になったときはさすがに病院サイドで救急車を要請してくれた。同乗したのはうちのナースだったけど。
しかし、そこでも身寄りがないということで難色を示され、2年前の意向確認書を観た医師は『ああ、良かった』という表情で退院の指示を出して来た。
かくして施設に帰って来た。これは最初の望み通りなのかも知れない。が、問題は、意識不明になって今の意向が確認できないとうことだった。
意識がないと言っても、少しの意思疎通があることを確認した私は、ちょっとほくそ笑んで施設長と彼を載せたストレッチャーを走らせて帰って来た。
そこから毎日接していると『腹が減った。』と言うようになり、今や普通の人の4分の1量を食べられるようになって来た。オレンジジュースを『美味しい』と言って飲むようにもなった。
そして、2年前の記録に彼の知人の電話番号が記されていて、それはとある飲み屋のマスターのものであると知ったので、本人に確認の上さっそく連絡をして来ていただいた。
彼はハッキリと喜びの表情を浮かべた。
あまり長くは会話出来ないが、今度、同じお店の常連で仲が良かった人を連れて来ても良いか?と仰るので、『もちろんです!』とマスターに答えた私。
彼は生きている。
病院の医師が『あの身寄りがない人、いつ看取ったの?』と訊いて来る。
まあ、あのご状態だったから、とっくにご逝去なさったと思うのも無理もないが。
てやんでえ。生きてるよ。しかも笑顔で。
色々と世知辛いものを目にしたり怒りが込み上げて来ることもあるのだが、ほんとに、てやんでえ。
彼は幸せそうだよ。下手するとあなた方よりずっと。
人を生かす勉強をして来たはずの人々が、どこかで道を間違える。利益のみで、誰かの心を、人生を捨てるということは、同時に自らの何かを溝に捨てているのかも知れない。
いかせん、そういう人の周りにはそういう人しか集まらない。
さて、次は何をしようかな?と彼と共に考えられる施設で良かった。
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