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何のためかにゃ?ということ

間違っていると言われて、すぐにそれを認められる人は少ない。何故ならそれが正しいと思っているから。

1月末まで居た有料老人ホームでの服薬管理の仕方を観ていると毎日せっせと錠数を数えることに徹していた。
時間がかかるというのも困ったが、何はさておき、錠数だけを数えて「よし」となっている様を見てあほかと思った。内容が違うかも知れないじゃないか。

今のところは、先日退職していった主任ナースが『うちのやり方は一番間違いが少ない。』と言っていたが、論外だった。何故ならば、その方法は、間違っていたとしても間違いに気づきようがないシステムだったから。

一度も間違っていないのではなく、一度も間違いに気が付いていないというわけだ。

でも、どの場所の人々もそのやり方が正しいと自信満々なのでいつも困った。
いや、正確に言うと、薄々気が付いているのだけど、変えるのは面倒臭いものだから、私が何か言う前に『うちのやり方は一番良いんだから何も言わないでね。』という圧をかけて来ているという状況。

言いたかねーなー・・・・。
でも、仕方ないよね。場合が場合なだけに、『例えば・・・』と指摘してしまうしかなかった。何たって薬だから。

しかも、そのチェックの方法は、ミスしていない人をミスしたことにするシステムだったので、これは尚更言わざる得ない。
具体的に言うと二人のナースがダブルチェックした後に、新しく処方された薬をくっつける人がいる。そこまでは良いのだが、それが飲ませるべき人とは違う人につけられていたり。

先にサインした二人は知る由もないがサインがあるからその人たちのせいになる。
後付けの薬にもチェックとサインが必要なのだ。

なるべく穏やかに言ったのだが空気が凍った。穏やかに言ったから余計になのか。(これはよく周りに言われること。)顔がひくひくとなっているのを観た。
分かっていたんだろうなあ。ということが分かる。実際に『そうなんだけどね。』という言葉も出ていた。

”分かっているんだけどね”と言ってやらないのは、分かっていないことと同じ。もしくはそれより悪い。

しかし、気分が悪い。

何かを言うのは嫌いなんだなーと、つくづく自分の性質を知る。放っておくと何時間でも黙っていられるのだけど、そうして逃げていると、何かの流れが、繰り返し私に状況を見せつけて来る。言わないと止まらないぞ、と。

良くも悪くも、自分が行った場所で何も変わらないということは無いらしい。これも良くも悪くも、変な我慢はできないからなのだろう。

そんなわけで服薬方法のシステムが一部変わった。
本当はもっと色々あるのだけど、何から言って良いのか分からない。

と、ここまで言って気が付いた。自分が一番言いたいのは、患者や利用者さんのことを観てくれということだ。

そうすると、どの人にどの薬が行かなければらないか?が分かるし、薬自体を知らないのなら、その人のために調べようという気にもなるし、医師に意見をするようにもなる。間違いを指摘することもあるだろうし、リクエストや提案をすることもあるだろう。そういう経過を経て処方された薬を違う人につけるなんてことは起こりにくいはず。

本質を観てくれ と、最終的にそういうことを言って行くことになるのだろう。この場所でも。

嫌だけど、まあいい。大事に進めて行こう。もう少しの間だけ。

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