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一方通行

波乱万丈だと言う人の話を聴いていたら、案外普通だった。

ということは、ネット上でもリアルでもよくある。

男とは、女とは、人間って、人生って・・・と大きなくくりで物事を言う人に限って出会いの絶対数が少ない。長く生きている年数に限らず体験数も少ない。

どんな人も色んなことを抱えていて、今日まで生きて来ているということはそれだけで強いことだ。それを知らないというだけなのだけど、自分だけだと被害妄想に陥る人もいる。

いじめにあったと恨みに思っている人が存外に人を傷つけていたり、自称繊細だと言う人が『私に気を使いなさい』と言いつつ人様に近づく図々しさを持っていることもある。

視覚というのは、馬鹿にならないもので、綺麗ごとを言っている人の行いを目に見る。

もっと言えば、体験数が少なかったり、自分だけだと思い込んで来れた原因は、心を閉ざして耳を塞ぎ目をつぶり続けて来たことに起因する。

誰しも目を背けたくなる時期というものがあるけれど、それがあまりに長いと、単なる図太さでしかない。

目をつぶったままぶつかって来る人の図々しさを交わしながら、『危ないなあ。』と思うことがある。
耳を塞ぎ目をつぶったままで、『自分を受け入れろ』と突進して行くから自分の暴力にも気が付かない。相手の痛みにも鈍感になる。

目を開き相手を見詰め、耳を澄ますことを思いやりという。

うまく行かないのは思いやりがないからだ。もしかしたら体験数はあったかも知れないが、思いやりとおせっかいは大違いだということを体験から学ばなかったからだ。

自分を知って欲しいと押し付けて来る人ほど他人を知って欲しいと思う今日この頃。

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