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ただ進めばいい
Kちゃんのお婆ちゃんのお墓参りに行くことになった。
それは、夏頃から起こり続けていた現象と、見続けていた夢から決定された事項だった。
こういう時の私は、物凄く右脳的で感覚派なのだけど、時間が経つにつれ左脳の方が『何、それ。』と言い出す。いつもそうだ。
説明がつかないものを見たり聞いたりする度に、幼い頃から『夢だったんだろう。気のせいだっただろう。』と記憶や事態を修復しようとしてしまう。何も無かったかのように。
それで今回も、『宇都宮の駅に行って映像通りの日本酒がなかったらどうしよう?というか、まず無いだろう。あったらおかしい。』とか、『その駅からどうやってお墓まで行くんだ?』とか、色々考えだす。
おかしな話だけど、人って、論理的になると、ある意味、前に進めなくなってしまうんだよね。
行ったこともないところへ行く過程を想像すると物凄く大変そうな気がして来るから。
例えばこれから3日先までの行動をいちいち一つ一つ考え出したら、そりゃ考えるだけでグッタリするだろう。ましてや、将来のことなどとか、遠い未来のことなどとなると、ますます頭ばかりが大きくなって動けなくなってしまう。
しかも、本当のところ、人生のほとんどのことは、いくら考えて、いくら想定していても、必ず予想外のことが起こったりもする。逆に言えば、ビックリするほど簡単に解決してしまうこともある。
要するに、先に考え過ぎても仕方がないってことの方がほとんどだ。
だから、気軽に行ってみよう。栃木を散歩して来よう。
と思っていた矢先、Kちゃんがこの話をお母さんに話したそうだ。どこまで話したのかは不明だが。
それからと言うもの、『カートを持って行きなさい。おじさんところで柿をいっぱいくれるから貰って来て。』とか『米を送って貰ったから2万円、おじさんに払っておいて。』とか、次々頼まれて『ぐおおおお!』とLINEを見つめては、雄叫びをあげるKちゃん。『やっぱり、言わなきゃよかった!』と。
ただでさえ、わけの分からない旅なのに、大量の柿を引いて進まなきゃならないんかい。(いや、宅急便で送るよ。絶対。)
などと、行く前にも色々あったが、案の定、進み出して見れば次々と順調に進んだ。
そして今夜、私たちは、栃木県の静かな雨の中に居る。
ミッションは無事に達成出来た。
今度、このことについて、また聞いていただけたらと思います。
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読んで下さってありがとうございました。今日が良い一日でありますように。
いってらっしゃいませ。