悲観ばかりでもない
朝から思いもよらぬ人が急変していた。
とは言っても昨年の夏、手の施しようがない状態と診断されてお看取りを覚悟していた方。
しかし、皆で大事に大事にして復活されて幸せな誕生日を迎えられていた。
身寄りのない方だが友人が多く、皆が応援してくれていた。
またしても脳出血と診断されて、当初ご本人が仰っていたように施設で最後を迎たいという願いを皆で思い出す。
病院は、かつて彼を見捨てたが病床数を稼ぎたいと昨今言っていたせいか『じゃあ、入院しよう、入院。』と急に言い出す。
でも彼との約束は破らない。
この施設は少し具合が悪くなるとこの提携病院に放り込むというシステムがあったらしいのだが、私が来てから少しづつ変わった。病床数を稼ぐということが目的の病院に入院すると患者は良くならない。それどころか、退院する期を逸して二度と帰らぬ人となる。老人医療・老人看護とはそういうものなのだが、未だそのことを知らない人が多すぎる。
今日初めて施設内で止血剤の点滴が成された。酸素ボンベも借りることが出来た。
良い病院とは早期退院を図り自立を促す。その人の元の環境に戻すことの大切さや、そのタイミングをよく知っている病院。
良い施設とは、まだこれは語る人は居ないと思うが、実はホスピスに近い施設のこと。良いホスピスとは、最も自宅に近い場所。その人がその人らしくあるために。
が、自宅が一番良いよね。それを知っているスタッフが勤める場所が良い病院、良い施設、良いホスピスだ。
あっという間に事が動いた。頭の中はまだ整理がついていない。何せ一日のうちにここまで来たのだから。
今夜あの人は、介護職員という最も人に近い人たちに見守られている。変な表現でしょう?でも、医療・福祉の世界で彼らが一番患者さんと同じ一般人に近いのだ。心があるということでもある。
私は自宅に帰り、今夜もいつ鳴るか?と電話を見詰める夜を過ごす。
彼が今夜安らかでありますように。