逢魔の時刻に
日が長くなって来たので、定時で仕事をあがると、あたかもまだ昼間みたい。
職場から自宅までの間には大きな道路があり、帰路に着くには幾つかの信号がある。
ある時、私が休日で家に居る時、Kちゃんが帰宅して「さっき、変なの見た。」と言う。
Kちゃんが言うところによると、まだまだ気温が下がらない炎天下の交差点で信号待ちをしていたところ、強い視線を感じたのだと。
何だろう?とそちらの方向を観てみると、木陰に腰が曲がったお婆ちゃんが居て、片手に桶を持って手招きをしているという。日の光で目がやられてよく見えなかったそうだが、しきりに手招きをしているので、思わず「何だろう?」と思って、ぼーっと見てしまったとのこと。
そのうち信号が変わったので走り出して帰宅した。
ただそれだけの話だったのだけど、話の途中で「桶?おけって、あの桶?」と口を挟んでしまった。
「そう。あの桶。木のやつだよ。服装も何だか古めかしいし、変だったけど、もしかしたら、何か困っていたのかな?行ってあげれば良かったかな?」
何だかわかんないけど、何となくそれは行かなくて正解だったんじゃないか?と思う。着物にエプロンという姿も、今日日この辺りでは不自然だし。暑さのあまり、何かチャンネルが合っちゃったパターンじゃないかな?
という話など、すっかり忘れて日々が過ぎて行った。
ところが、何と、今度は私が遭遇してしまった。まったく同じシチュエーションで。
信号待ちをしていたら、木陰から手招きしている着物にエプロン姿の腰が曲がった婆ちゃん。私は目が良いので、その着物やおみあしが非常に泥だらけなのが分かった。
途端に思い出した。「これか!」と。
そして片手には、木で出来ていて金具で巻いてある古めかしい桶。もう片方の手で、完全に私をロックして手招きしている。こんなにくっきり見えるんだから、もしかしたら生きていらっしゃるかも知れないと、確かにそう思う。
手招きする手が段々激しくなって、ブンブン!とおいでおいでをしている状態になった。
考えた。
これ、Kちゃんが遭遇したら行っちゃうかも知れないから、ここは一つ、正体を見ておこう。安全なのか、危険なのか。
自転車から降りて、真っすぐ婆ちゃんのところへ向かって行き、真近で顔も見た。泥だらけの婆ちゃんだ。もし、よろしくないことをしているのだったらハッキリ「止めろ」って言おう。
ところが、私が何か言うより先に
「ね?」とその人が言う。
え?
「ここ、涼しいでしょ?」と、ふわりと微笑んだ。
そして、今の今まで空の桶を持っていたはずなのに、いつの間にかその桶に満々と水が汲まれてあり、周囲の雑草や私の足元にかけて来る。不思議なことに飛沫で濡れることもない。
「涼しいでしょ。涼しいでしょ。気を付けてね。気を付けてお帰りよ。気を付け・・・・」と、段々聞こえなくなった。そして足元の濡らされていく草花を観ているほんのちょっとした隙に消えた!
おおおおおおうっ!やっぱり、そっち系だったか!
・・・・・・・。えーと、確か、目的はKちゃんが近づくと困るから正体を確かめようということだった。
しかし、この出来事を簡略すると古の婆ちゃんは、ただ「暑いからこっち来て涼みなさい。ね?涼しいでしょ?」と言っているだけだ。
妖怪小豆研ぎが、ただ一人で小豆研いでいるのと同じだ。何ら、害はなし。
結論。
放っておいてあげよう。
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