過ぎたるは猶及ばざるが如し
お看取り期に臨んでいる高齢者は、当然痩せて行く。
ご家族は死んで欲しいわけじゃない。本人も死にたいわけではない。病気によって苦しむならなるべく穏やかに永眠して欲しい、したいという想いがある(場合が多い)。
本当に食べたく無くなれば何も食べないだろう。でも、食べたくても食べられない場合は、食べやすい形状に食形態を変えて提供して行く。食べたい場合は食べるからだ。それが本人の望みだからだ。
過渡期にある人は、お粥やきざみ食、ミキサー食などに変えて、比較的普通の食事量が出されるのだが、そこにプロテインゼリーやブリックゼリー、アルギニンゼリーなどをお付けすることがある。
タンパク質や亜鉛などが少量の食事量で摂取することが出来るので、本当に摂取困難に傾いている人には、通常の食事は後回しにして先にこれらのゼリーを提供する。それでも嚥下に余裕があったら主食や主菜を一さじ一さじ提供する。力付きてしまう前に主要な栄養素を入れようと言う作戦だ。
でも逆に、お米が好きで食べる人には、お粥から先に提供するという作戦に切り替える。要するに一人一人違うということだ。
現代のお看取りとは、昔とは違う。そうして、できる限りの願いを叶え、あたかも意識が無くなる寸前に笑って『ありがとう』と穏やかに永遠の瞳を閉じた人が沢山居る。
唐突だけど、私には『不食』を推奨する友人が居る。もちろんお看取り期の人ではない。普通の健康体である同じような年ごろの人だ。
ある程度の絶食は、内臓に良い。現代の食事量を毎日消化する力が省けて内蔵が休める。腎機能、肝機能が正常値に戻ったと喜んでいたまでは良い。
が、その方は旦那さんや子供にまで食べないで生きることを薦めた。人様の家庭のことなので口は出さないが、『観て!みんな、痩せて健康になった!』と見せられた写真に目を落として、正直、ぞっとした。マッチ棒のような身体でガリガリの骨格とげっそりこけた頬のご家族が映っているではないか。
グレートマザーの家族への支配力は恐ろしい。
『宗教的にも尊い行為で、人々は不食に憧れるのよ。』
憧れんよ。
『綺麗でしょう?人は何も食べないでも生きていけるんだよ。』と嬉々としている。目がギョロギョロと動いて、ランランと輝いていた。美しくはなかった。時々遭遇する幽霊と呼ばれている人たちの方が肉付きがよくて美しいと思う。(霊体の姿は思念が作るらしいが。)
人は食べないでも生きていけるかも知れない。(ある程度は)
しかし、それは、何もしないならね。という前提だ。何もしない、何も受け入れない、何も消化しない、何もエネルギーに換えないということが大前提。
少なくとも、日々、食べたくても食べられない人々を見て来た人生においてはそう思う。
『スピリチュアルな世界に理解があるOhzaさんなら分かると思うけど、この間、無性にラザニアが食べたくなったから食べたの。天からのメッセージだと分かったの。』
(いや、全然分からないよ、その話。)
『でも、身体が一気に怠くなって具合が悪くなったの。これが天使が本当に言いたかったことなのね。精神性のレベルがあがると食べる必要がなくなるの。それを忘れた私は戒められたんだと思う。この世にいると肉体を背負わなければならないけど、生きていることは本当に重いね。分かるでしょ?』
・・・・・・・。えーと、食べて身体が重くなるってのはあたりまえの話だ。
思わず、戦国時代の話を思い出す。
秀吉の鳥取城渇え殺し事件である。
秀吉らに城を全包囲された鳥取城の人々は、長く籠城するうちに牛や馬を殺してその肉を食べるようになった。それが無くなると野草や建物の一部を食べた。死人が出れば死人を食べた。
そうして城内は死人と衰弱した人々だけになったのだが。
悲劇はそれだけでは終わらなかった。
降伏して来た彼らに秀吉は大量の米をふるまったという。
怒涛のように群がり粥に貪りついた人々は、やがて、悶絶。一斉に苦しみ始め、ほとんどが息絶えてしまった。
「リフィーディング症候群」と呼ばれる症状で、飢餓状態にある低栄養患者が栄養を急に摂取することで水・電解質分布の異常を引き起こし、心停止を含む重篤な致命的合併症を起こす。
要するに、消化能力が落ちた者が急激に栄養を摂取すると、当然消化できるはずがないということだ。極端な絶食が消化能力を落とす。
お粥ですら大勢死んだのだから、パスタだのグラタンだのステーキだのを急に食べたら具合が悪くなるのはあたりまえということだ。天使もスピリチュアルも一切関係ない。
人は、食べ物や水分、そして現実で起こり得る困難を日々消化しながら生きている。象徴的な話ではなくて、日常の困難も乗り越えることで栄養に返ることが出来る。
よくストレスが溜まって胃腸を壊すという現象があるが、これは文字通り、現実的に現状の自分では消化&昇華出来ない出来事に見舞われているからだ。(ちなみにクリスタルヒーリングでは、この状態の人にはシトリンやアラゴナイトなど、黄色い石を用いて貰う。)
そして、どんな人でも、肉体と、このカラフルなエネルギー体であるチャクラとオーラを持って、何とか消化して生き延びる。免疫がつくと、その食べ物や出来事についての消化能力が格段にあがる。
そんな日常の細々としたことが生きるということだ。
それをさぼり続けてレベルがあがったと言いふらしている人は痛い。
『私は人に薦めているわけじゃないのよ。』と言いつつも懸命に「いいでしょ?いいでしょ?楽なのよ?」と勧誘している人がほとんどだ。
あたえられた肉体に感謝できず、育むこともストップしてしまった人に成長はあり得ない。ただし、想像や妄想の成長はあり得るかも知れない。
とりあえずお子さんへのそれを止めないと訴えるで!と説教をぶちかましておいた。本気である。