見出し画像

おかえりなさい

『自分が不安だからと言って、何度も血圧を測りに行くのはダメ。』

『ご状態が悪い人のことを医師に報告するのはよし。でも、自分が不安だからと言って頻回に報告するのはダメ。あなたが何か言う度に先生は検査の指示を出して、その人は何度も採血の針を刺されることになる。』

『認知症があって何も分からないように見える人でも、声掛けをしてから車椅子を動かすこと。』

その他諸々、まあ、私は何と看護師に厳しい看護師なのだろう。ダメダメばっかり言っている。そりゃ嫌になるよね。

『老人ホームの看護師って、どうやって達成感を味わうんですか?自分が何かの役に立ってるって思いはあるんですか?』と訊かれれば『ないよ。』と答える。病院ごっこ、救命ごっこは一切禁止だ。その人とその人の家族の意向のために動く。相手を主役に出来なければ到底理解出来ない世界がある。

そんなある日、私のPCの上に不満を書きなぐった手紙を置いていた人がいた。

返事は書かず・・・というより、近いうちにゆっくり話そうと思っていたが、仕事はノンストップ。ふれくされた彼女を含む人員と共に黙々と事を進めていくしかない。

今日は病院から退院して来る人が居る日で、お迎えに行かなければならなかった。そのお迎えの車には、ドライバーさんだけというわけには行かない。

病院に『もう高齢なので余命いくばくもないです。このまま看取ります。』と家族に会わせられることもなく言い放たれた人だった。看護師が同乗しなければならない。帰りの車の中での急変もあり得るからだ。

『施設で受け入れて貰いたいです。』というご家族の想いを胸に迎えに行く。

しかし、車の中での呼吸停止なんかに遭遇した看護師の体験は、トラウマ級になるかも知れないので、こういうケースは私が行くことにしている。

ところが『老人ホームのナースの達成感って・・・』と不満を言っていた先のナースが「私が行きます。今日は往診日だからOhzaさんが施設にいるべきです。」と言う。

正直、大丈夫かなあ?と思った。

しかし、託した。

そして、2時間後、私たちが往診で忙しい真っ最中に、退院したお爺ちゃんと共に彼女が帰って来た。

2週間も飲み食いしていない、輸液もしていないお爺ちゃんと一緒に。『もう高齢だから良いでしょ。』と医師に言い放たれたお爺ちゃんと共に。

往診に来て下さっている医師の話を聴きつつも、帰って来た彼女に『Hさん(退院したお爺ちゃんの様子)は、どうだった?』と訊いた。

元々無表情で固い顔がさらに固まっているのは、まだ例の件でふてくされているせいだと思った。

先生の前だぞ。仕事中だぞ。あの件ならあとで話そう。それで、Hさんの様子はどうだった?ちゃんと報告して!

すると、彼女の口から『”信じない”って言っていました。』という掠れ声が漏れた。

え?

『”迎えに来てくれたのか?ありがとう。俺は施設に帰れるのか?いや、でも、信じないぞ。夢かも知れないじゃないか。施設に着くまでは信じないぞ。夢かも知れないじゃないか。”って言ってました。』

そう言って、彼女の目がみるみるうちに湿って来て、涙が溢れた。

少し、微笑んでしまった。朝からずっとムッとしていたのに。

そうか。『Hさん、喋れる状態で戻って来てくれたんだね。これが終わったら先生と一緒に見に行くよ。』と答えた。

『どうして、帰りたがってるって分かったんですか?』

ほんとにねえ。こんな施設なのにねえ。こんな冷たいナースが居るのにねえ。まさか、帰りたいって思ってるなんて想像もつかないよねえ。

『”迎えに来てくれたのか?夢じゃないのか?ありがとう、ありがとう。。。”って、ずっと、ずっと車の中で言っていました。』

もはや、ダムが決壊してうまく喋れない様子だった。

私は、とても嬉しかった。

ちなみに、我が施設には、医師が根拠を持って『もうダメです。』と言った人が、今や元気に暮らしているというケースが半数以上は居る。

何かのきっかけで、生存(しかも幸せな)を知った当初の主治医が驚くほどだ。

生まれることも、死ぬことも壮絶だし、親子の確執があった人もあり、様々なケースがあるのだが、数週間、数か月か、あるいは何年も、共に穏やかに健やかに過ごされているというケースが山ほどいらっしゃる。それは、とても貴重だし、必要な時間でもあったと、後から振り返るといつもそう思う。

その世界は、病院で言う救命とは、少し違うことは確かだ。

多くに理解して貰おうとは思わない。けれども私は、今日、彼女の元に、一人の高齢者の声が届いて嬉しいなあと思った。Hさん、分かって貰えてうれしいねえ!と痩せた肩を叩くのだ。

『痛てえよ!』と怒られるけど。

いいなと思ったら応援しよう!