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春の婆ちゃんたちは

一瞬、時間が空いた。

正確に言うと、定刻にならないと出来ない仕事ばかりが残っていた。例えば食後の吸引とか、月次の締め作業とか。

それで、一階へ走って行って、大分前にコンビニに散歩して喜んでくれていたお婆ちゃんの元へ。

あれから全然行けていない。忙しかったんだよ。

曇り空だが、気温は暖かい。今行けば雨にも降られず帰って来れそう。

ほとんど認知症が無い人たちにとっては、施設の中に閉じ籠っているのは苦痛なのだ。

自室のベッドでお昼寝をしていらしたのだが、目を開けるや否や飛び起きて、車椅子に自力で移っていらっしゃった。『行く行く!』と。

さらには斜め向かいの、丁度ADLが同じくらいのお婆ちゃんも行きたいと飛び起きた。え?ふ、二人?

ガタガタ道を二台の車椅子を押して行くのは危険。ひっくり返すとまでは行かないまでも、ずり落ちた時に対応できない。さて、どうしよう。

同時に叶えてあげたい。かと言って、順番に行くには時間が足りない。

事務所を覗くと、栄養士さんが雑談していたので、急遽声をかけて4人で行くことにした。

2人なら大丈夫。ささっ!と帰って来てから仕事すればいい。

そう思ったのだが、道中綺麗な花が咲き乱れていたり、偶然にも、お煎餅屋さんが道端に露店を出していたりと、結構な長旅になってしまった。

しかも、このよく喧嘩しているお婆ちゃん二人共が、ブラックコーヒーが好きだからと言って、コンビニのドリップコーヒーを飲みたがるので、せっせと作って・・・持ち帰る途中で結構零した。ほんの200メートル先のコンビニへ行って帰って来ただけなのに色々な事があった。

やっとのことで施設に帰り着いた頃には、栄養士さんの二の腕がプルプル震えていて、反省した。急に誘ってしまったけれど、あの坂道を普通の人が車椅子を押して上り下りするのは酷過ぎたんだ。

お婆ちゃんのために、買って来た巻きずしのパックを開けてあげようとした栄養士さんは、ラップを外す際に、床に全部ぶちまけてしまった。

一同、しー-ん。

普段は気難しいお婆ちゃんたちだが、決して怒らなかった。

怒らなかったのだけど、栄養士さんは『ごめんなさい!また行って来る!今すぐ買って来る!』と言ってダッシュで玄関を出て行った。

いや、私が行くよ!と、すぐに自転車で追いかけたが追いつけないほど早かった。

通常の仕事もあるのに、本当に申し訳ないことをした!と思ったのだが、栄養士さん曰く『もうー、凄い。凄く楽しかったです。Tさんは、あんなにお花が好きなんですね。それに喧嘩ばかりしている二人の食べ物や飲み物の好みは同じだったんですね。色んなことが分かって楽しかったです。また誘って下さい!』と。

というのが、二日前。

今日、その栄養士さんが医務課に飛び込んで来て言うことには。

なかなか経口摂取が難しいお看取り間際のお婆ちゃんが『ラーメンを食べたい。』と言っているので、願いを叶えたいのだと。

叶えましょう!と即答。もちろん、食べやすい形に工夫して。

もうすぐやって来るその人の誕生日のランチに向けて作戦を立て始めた、とある施設の夕方だった。

最初は、ちょっと困ったからヘルプを求めただけだった。でも、ちょっとしたことから点と点とが繋がって、いつでも沢山の願いが叶えられて来た。

もはや誰の願いだったのかも分からなくなるくらい、皆が笑顔になるので、それでいい。ただ精一杯。

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