道すがらの集会
いつぞや、施設からの帰り道、痩せた三毛猫に遭遇した。
あまりにも痩せこけていて、顔の輪郭も背骨を含む骨格も、まるで骨そのものが歩いているかのようだった。
生きている猫でここまで痩せている子を見たのは初めてだったので、驚いてその後ろ姿を目で追ってしまった。
痩せた三毛猫は、横道に続く緩やかな坂をゆっくりゆっくり登って行った。
どうして、坂なんて登るのだろう?どうして歩くのだろう?そんなに痩せこけているのに。
しかし、その動きはライオンのようにのっしのっしと確かな足取りで、自然と空気を切って流れるかのように滑らかだった。
猫は坂の中腹あたりで、私の方を振り返った。視線を感じたからだろうか。
じっと目が合うその顔は骸骨の形をしていてまるで標本のようだった。何か図鑑にも載っていそうな。それでいて、確か猫の先祖にこういう猛獣ないたような。そんな姿だった。
しかし、毛並みだけは良いのだ。
猫はずいぶん長いこと振り返ったライオンのような姿をしてこちらを見詰めていたが、やがてまた前を向き、坂の続きを登って行った。
なんだろう。病気なのかな?もう瀕死のはずなのに堂々としていたな・・・と思っていた。
それから10日ばかり経ったろうか。夜もふけた帰り道、Kちゃんと施設の裏側の道を通っていたら、その小さな道路に面したアスファルトのところに、その子がゆったりと寝そべっていた。
夜ではあるが、街灯がその子を照らしていたのと、その子の方から「みゃあ。」と声をかけて来たから気づいたのだ。初めて見たKちゃんは「わ。ぬいぐるみか剥製かと思った。何?この子、何でこんなに痩せてるの?初めて見た。」
近所の子供が二人寄って来て、家から持って来たのか、ドライフードを与えていた。
良くないことなのだろうけど、私たちも紙の器とお水、カツオを買って来て食べて貰った。
しかし、嚥下力が落ちているらしく、ちぎったカツオが一瞬喉につかえたかのように見えた。引っかかれないようにもう一度回収して今度は小さくちぎってそこに置くと、「にゃ。」と言って今度は食べやすそうに食べた。まるでありがとうと言っているかのように。
「みゃ!にゃあ!(これでもう一日は生きるにゃ。いや、二日かにゃ?)」
近くで見て気づいたが、耳に切り込みが入っていた。そうか。一度保護されてリリースされた子なのか。
私は前回遭遇したときに、今にも死んでしまいそうだと思ったが、10日前よりは元気そうに見えた。
そこに遅番が終わって自転車で帰る途中の介護職員の女性がブレーキをかけて止めた。最近入った同年代だというのにパワフルな方だ。
私らは「み、見逃してくだせいっ。」と笑ったが、実は彼女も”猫を飼っているのだ、私のことも見逃して下さい”と言いつつ、横にしゃがんで見詰め出した。そして、ひっかかれないようにカツオを小さくちぎって置き直す作業を一緒にやった。
大人三人と子供二人。皆他人なのだが、食べる姿を見ながら語り合っていた。「あまり一遍に食べると下痢するよね?こんなに痩せているから。」という私たちに「大丈夫。わりと毎日のように何かしら食べてるよ。」という子供たち。
しばらく見届けたら、それぞれの帰路についた。
あの子が今日もお水やご飯を貰えていると良いな。
坂の上からこの辺りまでが縄張りなのだろうか?
どんなに痩せても縄張りがあり、通りかかった私に声をかけては「また会ったな。」と言わんばかり。
生きてやるぞ
そんな意気込みを感じた。
いや、猫は意気込んでなどいないのだろう。ただそこに居るだけだ。
私たち人間は、おそらく皆、彼女に会えて、食べて貰えて、凄く幸せな気持ちを与えられた。