何にでも時期がある
一年前の今頃は、派遣ナースとして今の施設で働いていた。丁度2ヵ月目に入った頃だろうか。
当時の看護職のトップとナンバー2の人は、他の部署と毎日揉めていた。滅茶苦茶なことばかりを言っていたわけでもなかったが、あまりに毎日揉めているので、簡単な仕事すら何一つ片付かないという日々だった。
そんな環境でも私には関係ないのである。毎日黙々とバイタルを取ってご利用者さんたちのことを覚え、やるべきことをやっていた。周りが騒がしくとも、例えどんなに無駄話や罵詈雑言を喚いている人たちがいても仕事は出来るものだ。
かと言ってそのナンバー1とナンバー2の方と喧嘩をするわけでもなく、間違っていることは間違っていると言い、親切にされれば「ありがとうございます」と感謝する日々。
とあるナースさんはこの二人にいじめられていた。その方にもおかしなところはあったが、それはやり過ぎだと思った。
普通に仕事仲間として接していたが、先の二人が私に親切にするので私も一緒にいじめて来る人間なのだろうと、彼女は勘違いしていた。この誤解が解けるには、季節が二つ過ぎるほど時間がかかったが、特にそれに対しても余計なことを言ったりしたりしなかった。
今は、そのナースさんを含め、その後に入って来た人たちと概ね楽しく仕事が出来ている。
しかし、定期的にかつてのナンバー2の方から連絡が来る。再就職した先でも色々と揉めているとのことで、職場自体やそこに居る人たちの悪口を言っている。
同時にかつていらしたうちの施設の情報も一生懸命探りを入れて来られているが、努めてあまり詳しくは話さない。どんなに親しかったとしても、外部の人に職場の個人事情を話べきではないと思うからだ。
「あの人やこの人はどうしてるのか?」という探りを私以外の人たちにもラインしているらしいのだが、他の人は色々と情報を入れているらしく、巧みな質問に答えてしまっているようだ。
そうそう、口が上手くて話しが面白い人だった。
でも、心が少しも平和じゃない。
どこへ行っても小さなことで揉めてしまうのは、何か原因があるからなのだろう。思うに、人生が退屈で仕方がない人のようだった。いつも何かの騒ぎでポッカリと空いた穴を埋めようとしているかのように。
しかし、世の人々はそんなタイプの人に惹かれる人も多い。。今度はどんな揉め事なのか?と入り込んでいく光景をよく見ていた。
しかし、
「あのうだつのあがらないナースはどうしてる?」
その質問にだけは、珍しく反応してしまう自分が居た。
お元気ですよ!と伝えた。
人が変わったように良い笑顔で仕事されています。毎日楽しいそうです。それに、とても成長なさって、とても良い仕事をされています。人が変わったんじゃなくて本来の彼女に戻ったんでしょうね。
小さな舌打ちが聞こえてきそうな空気が伝わったが、やや強めの語気で言ったこの言葉は嘘ではなかった。良い環境になったのは事実なのだ。
「じゃあ、私は必要ないね!」と、以前にも聴いた言葉が聞こえた。強気ないじめっ子の彼女が時折弱ったときに「居場所がないよ。」とか「私は必要とされてないよ。」と言うことがあった。
それはどこか違う話だなのだが、私は彼女が期待している言葉を言うことはなかった。
自分のどこかが故障したまま長年空騒ぎやいじめや見栄で誤魔化し続けてしまうと段々壊れていることさえ忘れてしまう。
でも、自分に空いている穴は、いくら求めても他人の手では埋められない。怒っても泣いても、誤魔化しても、病んでも、自分で埋めるしかないから。
その機会が来るかどうかは分からないが、もしも、彼女が「誰かの噂」を止めて自分の話をしてくれたなら、いつか話してみたいと思う。
ボールは準備をして構えている人にしか投げてはいけない。怪我をさせてしまうから。