MODERN TIMES 北海道、昭和の彩り - 建築家 田上義也
北海道、昭和の彩り - 建築家 田上義也
2013年3月10日
ご挨拶
昨晩、無事にオンエアが終わりました。
演出としてドキュメンタリーに挑戦したのは2度目で
正直、本当に疲れました(笑)
反省すべき点はたくさんありますし、
次に活かします、みたいなことは
放送した事実に責任を負っている以上、あまり言いたくないのです。
何より、何が正解なのか、僕にはまだ見えてないのです。
力不足ですね。もう一度勉強し直さなきゃ。
番組にご出演いただいた北海道立旭川美術館の井内さんにインタビューし
僕に一番に刺さったのは、田上さんが北海道に渡った大正から昭和初期の
北海道の社会についての話でした。
日本は第一次世界大戦に連合国として勝利し、列強に肩を並べるべく
急速に欧米の文化が流入していました。
北海道においては、開拓当時からアメリカを強く意識し、外国人指導者達が
数多く活躍していた当時の北海道は、農業や建築の技術のみならず
文化もドンドン入ってきていました。
そして、信仰も。
外国人指導者との接触の機会が多かった知識層や上級階層はもちろん
社会福祉的な役割として、地域社会の核となっていた教会など、
北海道はクリスチャンが多かったようなのです。
ご出演いただいた蔦さんご夫婦のご先祖がキリスト教開拓団であるのも
その例のひとつかもしれません。
そこに、急速に発展する街の混沌と重なった
今の社会とは少し違う、社会構造があったようなのです。
前述した井内さんのインタビューでお聞きした話を要約すると
戦後、高度に効率化された今の日本の社会構造にあって
個人のあり方がシンプルすぎるのではないか?と。
職能としての役割とは別に、個人の領域が認められていた社会が当時はあったと。
グリッド化している、と言えば伝わるでしょうか?
もっと個人は複雑で、多面的なものを持っているはず。
シンプルな容器に複雑な個人を押し込めてしまっては
そこに歪みを生みます。
濃厚な人と人との関係の中で、複雑な個人が、その一辺一辺を
他の誰かと重ねながら作品を生み続けてきたのが、田上さんなのです。
僕は、運良く、自分の考えを形に出来る仕事を続けて来れています。
やや複雑な形をもって、引っかかりながら生きています。
昭和の彩りは、そんな生きるヒントも、与えてくれていると思ったのです。
ご覧頂いた皆さん。ご協力いただいた皆さん。ありがとうございました。
監督 鈴木謙太郎
2013年3月25日
今朝の再々放送で、予定されている国内での放送は
とりあえず終わりました。みなさん、いかがでしたでしょうか?
今後ともがんばりますのでよろしくお願いします。
来月はNHKワールドプレミアでの世界放送が予定されています。
デザイナーの原研哉さんがtwitterで
「1955年に、日本には景観が確かにあった。
しかし今日、僕らはそこには戻れない。
その重みを感じつつ、それを単に「美しい」と
評してしまいそうになる態度に潜む傲慢さと無責任さを、
僕らは慎重に拭い去らなければならない。」
とおっしゃってました。
美しい旧小熊邸も、坂牛邸も、ほかの歴史的建造物も
保存には大変な努力が必要です。
ぜひ足を運び、利用していただきたいと思います。
また、現在の札幌パルコの場所にあった富貴堂など
昭和の街並を知っている方達が多くいます。
僕の母も富貴堂の思い出などを語ってくれて、
それはそれは面白かったです。
ぜひ、自分たちの街の歩みについて
身近な人から話を聞いてみてください。
なにか、この街のこれからについて考えるヒントになるかもしれません。
また、ハードだけでなく、我々、メディアの人間も
もう少し丁寧なモノの考え方を持っていいのではないか、と感じています。
新しいだけが価値観のようにあおり立てるだけでいいのでしょうか?
「話題の…」と自らが切り出した瞬間に、話題の先に自分たちはいないことを知るべきなんじゃないかと少し危機感を感じています。
生意気なようですが、自戒の念をもって…
ありがとうございました。