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【連載】52Hz 第2回『エイジ』

何もかもがわからなくて
何もかもがわかった気がして
いつもイラついていたようなAge

『エイジ』

なんというか、その時期にしか感じない感覚とか、気持ちとか、そういうものがある。大体そういう感覚とか気持ちというのは言語化が難しいので、適当な言葉で表現しつつ「でもちょっと違うんだよなぁ」とモヤモヤした気持ちを抱えてしまったりする。そうでなければ、言語化が難しいそれらを、上手く表現した何かを見て共感したりする。

そういう時期に読んだ重松清の『エイジ』は、私に共感を与えてくれた作品だ。あらすじとしては、中学生の「エイジ」が、街を騒がせている通り魔が実は同級生だったという事件を、様々な受け止め方をし、自分自身や、友人関係や、その友人自体の変化を描いた作品、ということになる。

この小説の特筆すべきことは、的確に中学生の気持ちを描いているということだ。簡単に「オトナ」がまとめてしまえば、思春期にありがちな不安定さーキレる少年、みたいなーを描いているのだが、主人公である「エイジ」の内心は非常に複雑であり、「オトナ」が一言でまとめられるようなものではない。

友達も作中で大きく変わっていく。突然生じた「同級生が通り魔」という巨大すぎる事件と、それに伴ったり、それとはあんまり関係なく動いていく日々の中で生じたり、日常から生じたりするいくつもの事件が、「エイジ」たちを変えていく。

特に、「エイジ」が彼女(うらやましい!)と下校している時に、透明な手でなんども彼女を道路に突き落とした、という部分が
印象に残っている。別に彼らは喧嘩をしたわけでも、「エイジ」がヤバいDV男なわけでもない。
あの頃は、今にも暴れだしそうで、爆発しそうで、その原因なんてわからないという、何にでもイラついて、キレそうになっていた自分の気持ちと、「エイジ」の透明な手の動きとを、重ねて読んでいた。

ワールド:DANCHI - 団地

今VRで団地に来ている。薄暗い団地。一瞬ホラーワールドかと思ってしまう程だ。今回『エイジ』を取り上げるのになぜ団地かというと、自分の友達が団地に住んでいて、よく遊んでいたからだ。


団地やその周辺に住んでいる友達と、部活の帰りにどうでもいいことを話ながら、グルグルと同じ場所を歩いたり、友達が住んでいるアパートの前に座り込んで話したり、とにかく話を沢山していた。


なんであんなにどうでもいいことを、今になったら何一つ内容を思い出せないようなことを話していたのかなんてもう覚えていない。大体、ほら。学校の先生の悪口だとか、ちょっとしたクラスメイトのスキャンダルだとか。そういう話だったような気がする。なんでそんな話をしていたのかを思い出せず、仕方ないから、今改めて考えてみると、単に話が楽しいという以上に、切実にコミュニケーションを求めていたのかもしれないな、と思う。


先ほど、いつでも暴れ出しそうな気持を抱えていた、とはいったが、少なくとも、友達と話しているときには爆発しそうな内心は静かになっていて、その内心を彼らと共有できているような気になっていた。もしかしたら、今考えてみれば、多分彼らも同じように、内心では何かめちゃくちゃなものを抱えていたんだと思うし、そういう意味では、会話を通じてみんなが少しずつ、お互いの尖った心を柔らかくしようとしていたのかもしれない。


『エイジ』

今となっては彼らがどこで何をしているのかはわからない。一人はどうやら大学に二回入ったという話をうわさで聞いた。他の人たちは全く謎だ。まぁ、本気で尋ねればわかるとは思うのだが、そこまでするようなものではない。

今はもう、中学生の頃みたいに内心が尖っていたりはしない。仮にイラついたり、キレそうになっても一人でそれを宥めることができる。それをいつもは成長の証だと思っているのだが、今日は、もはや内心を少しずつ共有できる相手がいないのだと、孤独感を覚えてしまった。

この記事を書くにあたって、『エイジ』を読み直した。あれほど読んで、それこそ授業中にもコソコソと繰り返し読んでいたのに(不真面目だから授業中にも本を読んでいた。もし学生がこれを読んでいたら、真似しないでくれ)、あれほど「これは自分のことを書いているんだ!」と思っていたのに、なんだか遠くから読んでいるような気がした。客観的に読めるようになったというか、入り込みすぎないで読めたというか。

どうやら、『エイジ』のageからは、もう遠くまで来てしまっていたらしい。

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