【連載】52Hz 第4回『駆け込み訴え』
愛していた師に
「そのものの為に、生まれてこない方が良かった」と言われた私は
誰になにを訴えれば救われるのでしょうか?
『駆け込み訴え』
一時期、本当に「文学青年」をやってみたくて、いわゆる古典文学を読もうと思ったことがあった。流石に『平家物語』だとか『伊勢物語』は敷居が高いので、明治~昭和の名作をとりあえず読めるだけ読んでみようと思って、図書館で『舞姫』だの『こころ』だのを借りてきて読んだ。なんとなく、太宰治に手を出したら(自分の性格的に)ヤバいという感覚があったのだが、ちょうど好きな作家である伊坂幸太郎が『バイバイ、ブラックバード』という本を出しており、その元ネタが太宰の未完で終わった『グットバイ』という小説だというので、こうなつたら読むしかないと思い、太宰に手を出した。
一見ハマりそうな『人間失格』は確かに「文学」って感じがしたが、実をいうとあまりハマらなかった。金持ちが高みからゴネているように見えてしまったからだ。よくもまぁ、これだけ低い読解力で「文学青年」をやろうと思ったものだ。いや、むしろその程度だから、意図して「文学青年」になろうとしたのだともいえる。大体、本当の「文学青年」は気が付いたらなっているものだろう。
私が太宰でむしろハマったのは『津軽』であり、東北に年に何度か行っていた身としては、確かにあんな人たちいるなぁと思ってしまった。中盤の、尋ねてきた太宰をもてなそうとして次々色々いう人物が出てくるが、あまりにも知り合いにそっくりで、そこを読みながらその人の顔しか思い浮かべられないくらいだった。
話がそれた。
本当に私がハマった・・・というより心に響いたのは、短篇の『駆け込み訴え』だった。この短篇は、ある人物が神殿に駆け込み、師を売ろうとして、自分について、師についてひたすら話すだけの、究極の一人称視点の小説である。
『駆け込み訴え』の特筆すべき点は、愛憎入り乱れ、師への愛を語りながら自分を卑下し、卑下した自分を愛しながら師を憎んでいるようにみせている、そのぐちゃぐちゃな心理状態をぐちゃぐちゃなまま描きだしているところだ。愛の果てに師を売ろうとするその矛盾を、矛盾したまま表現している。
だが私が一番すごいと思うところは「、」の使い方だ。音読してみるといい。焦って、昂奮している人物の息遣いそのままだ。一人称視点で進むし、書いてあることは全て語り手の発言であり、地の文がないため、今そこで自分が語り手の訴えを聞いているような気にさせるのだ。短編だったこともあり、一気に読み切ってしまったが、読み終わった時には非常に緊張感があって疲れた…という感想だった。
ワールド:大聖堂
『駆け込み訴え』からの連想で、今いるような教会のワールドに来るのはありきたりだと思う。だが、今回ばかりはこれしか考えられない。一口に「教会」といっても、カトリックかプロテスタントかで内部の作りは大分違うが、今回はカトリックのほうであり、ステンドグラスがあり、大きな天使の像と十字架があった。カトリック風の教会らしく荘厳、重厚、豪華、壮麗である。
このワールドを歩いて写真を撮影しながら、『駆け込み訴え』のことを考えていると、あることがやってみたくなった。
教会の、天使と十字架の像の前に立って、デスクトップ画面を表示できるソフトを起動する。目の前にデスクトップ画面が表示されたので、青空文庫と検索。か、か、か…あった。『駆け込み訴え』。
「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。」
「、」の使い方がすごいと強調したのだから、それを実感するために、音読してみることにしたのだ。
読み始めると、本当にスラスラ読める。「、」の位置が絶妙なおかげで、テンポよく読むことができる。
「ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとは較べものにならないほどに愛しています。誰よりも愛しています。」
文章の熱量があがってくる。
意識していなかったが、音読する音声も大きくなる。
「ああ、それもちがう。私の言うことは、みんな出鱈目だ。一言も信じないで下さい。わからなくなりました。ごめん下さいまし。ついつい根も葉も無いことを申しました。そんな浅墓な事実なぞ、みじんも無いのです。醜いことを口走りました。だけれども、私は、口惜しいのです。」
読み進めていると師を売った彼の気持ちがリンクしてくるような気がしてきた。自分が読み上げているというよりも、自分の発する言葉が文字として浮かび上がっているような感じだ。
今口からでているこの言葉は、本当に音読しているのか?それとも私自身がこれを考えてしゃべっているのか?もはや「読んでいる」という感覚はなく、私と彼は同一化しつつある。
「おや、そのお金は? 私に下さるのですか、あの、私に、三十銀。なる程、はははは。いや、お断り申しましょう。殴られぬうちに、その金ひっこめたらいいでしょう。金が欲しくて訴え出たのでは無いんだ。ひっこめろ! いいえ、ごめんなさい、いただきましょう。」
そうだ。「私」が金のために師を売るんだ。小鳥がぴいちくうるさい。金、金!私は金が好きだから。決して師を愛しても憎んでもいない。金の為に師を売るんだ!!
「はい、はい。申しおくれました。私の名は、」
『駆け込み訴え』
はぁ、はぁ、と息を切らしながら、太宰に、いや師を売った彼に憑りつかれたかのような音読を終え、正気に戻ってからリアルに帰還した。さすが文豪。ただ目で読むだけではなくて、全身で文豪の文章力を理解できた。
しかし、こうやって彼に憑りつかれてみると、「愛憎」というより師に対するさみしさ、みたいなものを感じた。
なんで自分を見てくれないんだ、というさみしさ。
自分だけは師を本当に愛しているのに、なぜ特別に扱ってくれないんだという人間的なさみしさ。
師はもっと立派で大きくあってほしいのに…というさみしさ。
ならば、それが伝わろうと伝わるまいと、師と話すべきだったのかな、と思う。
彼は、本当は師にこそ駆け込み訴えをするべきだったのだ。
「申し上げます。申し上げます。主よ。あなたは、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。」と思い切って言わなくてはいけなかったのだ。
きっとそのまま受け入れてはくれないかもしれない。「厭な奴」だから彼をはぐらかそうとするかもしれない。でもそのさみしさをぶつけたら、「愛/アガペー」を説く彼の師はそれを無下には扱わなかっただろう。
愛に狂った男の訴えが、今でも脳に響いている。