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境界の往来

新潟から西会津に移住して、この県境の往来を何度したであろう。看板ひとつだけで、見えない県境。しかしこの境界が多くの壁がある。はじめて西会津に来たとき、情報の壁にびっくりした。実際は新潟市と西会津町は概ね80kmの距離しか離れていないのに。実はそれを実感したのは10年前の東日本大震災の時である、当時新潟に住んでいた私は実家の福島までお見舞いにいった時のこと、この県境を超えたとたん、ガソリンスタンドが全て閉まり、ガソリンが手に入らなくなっていた。隣の津川町に行けば普通に購入できたのに。

今の社会にはあちこちに境界がある。それぞれ自分の領域を決めることで安定と安心を得られるのだろう。日本の高度成長はこの領域をしっかり確立してきたことで実現できたのではないだろうか。ただ領域と領域の間に境界が作られ、新たな取り組みを生み出す際には、境界が壁となり、今の新しい価値を創出する際には弊害になることがある。今の混沌とした現在の社会のなかで、成熟した領域のなかで何かを創り出すことに限界がきているのではないだろうか。

私はこの境界を消すのではなく、活かすことが、これからの可能性があると考えている。1980年代後半にベルリンの壁の崩壊を未来を開く瞬間として、興奮しながら見ていた。かつてAかBか、二項対立があった。そこには分断と対立があった。それをどちらかの領域にするための競争があった。シェアの獲得もまさに同じ競争の論理でしかないかもしれない。今求められるのは、AかBではなく、AもBも活かす動きではないか。

現在形作られた社会の仕組みを再構成する必要を感じる。当然、確立された領域を再構成する必要がある。同時に領域と領域の境界に可能性がある。この境界を壁として壊すのではなく、消すことでもない。境界をどう作るか、どうつなぐか、そこはデザインの役割のではないか。複数の領域を関係を創る「関係のデザイン」が大きな役割を果たす。

ふと思うことがある。組織のなかで領域を確立させ、領域を拡大させることが武士的な仕事として考えると、複数の領域を理解し、編集し、価値を生み出す。これは百の仕事をしてきた百姓的な仕事なのかもしれない。

今、私は、新しい「HYAKUSHO」的な生き方と仕事の在り方を西会津から確立させようとしている。

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