故くて新しい未来へ その2
最近思う仮説のひとつ。地域運営においては、しくみ(いわゆる地域OS)と、しくみのうえでの運用(いわゆるアプリケーション)、そのしくみと運用上の民間の地域経済活動(ビジネス展開)、という3つの階層で地域運営を組み立てるべき。という話をスペインの知人から伺ったことがある。(なぜか、地域経営において、その構造が日本は見えないのが不思議。というおまけつきの話ですが。)
故くて新しい未来を拓く、持続可能な地域運営のカタチを想い描き、創る際、この構造は非常に重要でないだろうか。日本の場合、この地域OSに当たる部分が、日本全体でひとつの仕様として成り立っている。全国一律、平等を原則とする。ここに今の日本の問題があると思っている。高度成長期の人口が増える時代、効率的に国土全体を運営し、大都市で儲け、地方へ還元させるという日本全体の大きなOS で日本を支えてきたと理解している。
しかし、人口減少の時代、この大きなOSはロスとひずみを生み出してきている。それをとりつくろうような地方創生も限界が来ているといえる。今、DXに期待が高まっているがこれも期待をまっていても幻想で終わるだろう。都市と自然という2つの環境にあった地域OSを2つを創り、それが相互につながる構成が必要ではないだろうか!この構成を運用するための手段としてDXへの期待は十分理解できる。いろいろなところで都市OSの大きな実験はなされている。自然豊かな地に大いなる新たな実験都市づくりなども動きだしている。しかしそこには私は、何もわくわくしない。
故くから暮らしを営まれてきた都市(街)の暮らしを持続的に支える“都市の暮らしOS”。そして自然のなかの暮らし、営みを支える“自然の暮らしOS”。この2つが共存し同時に創り出すことが重要ではないだろうか?同時にこの2つのOSは連動して動くものである必要がある。と、最近強く思っている。
西会津は中山間地であり、少子高齢化の地域である。ここでつくるべき“自然の暮らしOS”は、人の経済活動のデータ集積を基盤として動かす都市OSとは異なり、様々なことを複合的に運営するOSにしないと運営は難しい。もしかするとそこは人の営みだけではなく、山の生き物(猿や猪や熊も)との共生も領域としたものなのだろう。同時に、例えば東京の暮らしともしっかりつながることで生み出すアプリケーションがしっかり動くことが求められる。
都市のなかでの暮らし、自然のなかに包み込まれる暮らし。私は、暮らしを基盤にしくみ創りを考えていくと、この2つの“都市の暮らしOS”、“自然の暮らしOS”がうかびあがるはずであると確信している。そしてこの2つのOSの往来にこそ、新しい未来が切り拓かれるヒントがあるはず。往来のなかでうまれる自分のなかのゆらぎに可能性を感じる。