ジャグリングは遊びですか?『皿回し博物館』に至ったワケ

最近寒いですが皆さまいかがお過ごしでしょうか?ジャグリングアドベントカレンダー、12/24分の記事を書かせていただきます。

ご挨拶&自己紹介

こんにちは、まさやん(@jugglermasayan)です。初めましての方も、ご存知の方も、よろしくお願いします。メイン道具がマイナーだし、大学のジャグリングサークルには所属していなくていないので、簡単に自己紹介から始めます。

中学生の時に栄光学園大道芸同好会でジャグリングを始め、2012年頃から皿回しの演技を発表し、2016年にかけてスピニングプレートINNEの開発、特許の出願を行いました。

投げる・傾ける・グラインドするを中心に技の開発を進め、JJF2016の決勝進出と、IJA2018の優勝が主だった経歴です。ありがたいことに、めざましテレビのキラビトでご紹介いただいたり、『それって!?実際どうなの課』で森川葵さんにお教えしたり等、テレビに出演する機会をいただくこともありました。どんな技をやってきたかは、こちらの動画をご覧ください。

ここから少しずつ本題に近づいていこうと思います。

「ジャグリングは遊びなのか」と考えはじめたワケ

さて、数年前に友人のホームパーティーで、大学の教授をしている方とお話ししたことがあります。サイトスワップシュミレーターとか、道具の設計の話とか色々ご紹介していたところ、
「これは面白いですね。」「もっと遊びみたいなものかと思ってました。」
と言われました。

前半はうれしくて、後半はちょっとだけムッとして。

遊びでもいいんです。
実際、気楽にジャグリングと戯れるのは楽しいし、日本のジャグラーはマジメすぎる、もっと気楽なジャグリングが日本に広まればいいとさえ思います。

でも、断言します。ただの遊びではない。

ジャグリングにはエネルギーがあります

ジャグリングをみると、高難度の技に驚かされたり、意外な動きが面白かったり、流れるような演技が美しかったり、大きな感動をもたらしてくれます。ショーとして演出されたものはもちろんのことですが、そうでない、ジャグリングの自体にもエネルギーが宿っていると思います。残念ながら実物を拝見する機会はありませんでしたが、小野澤峻さんの制作された"Movement Act"の動画を見たときには大きな感銘をうけました。

ある意味、ただ物が動いているだけといえます。ショーとしての演出はおろか、投げる人もいません。でもボールたちの一見統制のとれた、でも最後には崩れてしまう不安定さもある動きに、ついつい見入ってしまいます。この不思議な魅力も、ジャグリングのもつエネルギーと言えるのではないでしょうか。

そして僕はがもう一つ大切だと思うのが、今回の本題、文脈です。

絵画には文脈があります

以前、ジャグリングとは関係ない、美大生の友人と話していたとき、『絵と絵画は違う』という話をしてくれました。

その方のなかでは、『絵』はペンや絵の具などで平面に描かれたもの全般を指して、『絵』の中の一部の、それまでの芸術の文脈の中で表現したいものがあって制作されるものが『絵画』なんだそうです。

文脈の中というのは必ずしも過去を踏襲することだけではなくて、踏襲しつつも発展させたり、むしろ過去や現在の芸術に反発することも含んでいるそうです。

僕は絵は描きませんが、たとえば美術館に観に行くとします。絵画を観た時に、うっとりするような綺麗さだとか重苦しい感じだったり楽しさだったり、色々な印象を受けます。でもそれだけではありません。解説のパネルが近くに設置されている場合、それを読むと楽しみの幅が広がります。
どんな時代背景でどんな表現をするようになった、どんな派閥にどう影響されたのか、その作品が当時どう扱われたのか。その作品の背景を知ることで、制作者の主張を知ったり、どのような点で価値がある作品なのかを知ることができます。

もちろん、ジャグリングにも文脈があります

ジャグリングにも文脈はあります。例えば、3ボールジャグリングを例にとると、初めてインラインスリーを見たときには誰しも衝撃を覚えたと思いますが、これは、両手が肘の前にある形で行われるパターンに馴染んできたという、文脈があるからです。

一方で、「凄すぎてわからない」というのも、誰しもが一度は聞いたことののあるセリフだと思います。どんな技がこれまで一般的で、それをどう新しくしたのか、どんな動きが普通で、どう難しく発展したのか。文脈は、受け手の知識や見る力が足りないと伝わりませんし、そのまま時代が流れると失われてしまいます。

世間的なイメージではジャグリングが遊びの域を出ないのは、文脈が足りないからではないでしょうか。

ジャグリングの文脈を語れるようにするために

ジャグリングの技術自体・道具自体に焦点をあてて、動画、ショーや大会の記録を残していくことは、文脈を語れるようにしていくために必要不可欠です。日本ジャグリング協会の雑誌、「Shall We Juggle?」がすべて国会図書館に納本されていることには、大きな意義があると思います。また、他にも、ジャグリングと他の文化の関わり、社会の中でのジャグリングの位置を考察、記録していくことも、ジャグリングを論じるうえで必要になってきます。例えば歴史的な立場で交易などに伴う文化交流として考察する、なんて興味深いのではないでしょうか。これは、今ジャグリングをしている自分たちだけではなく、未来のためにつながっていきます。ジャグリングの文化としての地位を確立して、将来、有望な後輩ジャグラーが留学したいときに奨学金を取れるようにしてあげようじゃないですか。

小さなジャンルの記録は、関わっている人々が意識的に残さないと消えて行ってしまいます。実際、僕の知る限りでも、古本屋にもない、国会図書館のデータベースでも見つからない、手に入らないままになってしまった皿回しの本というものもあります。今は無駄に見えるデータでも、手に入るうちにしっかり残していくことで、将来役に立つものになるかもしれません。

そこで、皿回し博物館をつくりました

「まずは僕にできる範囲で」ということで、最近、皿回しに関するものをコレクションしはじめました。これまでの公開した中で一番のオススメはこちらです。

まずは100点所蔵を目指して集め始めて、現在23点です。これがなかなか面白くて、歴史書の他にも、皿回しのご当地キティを発見したり、皿回しの版画を見つけたり、USBカメラを使った皿回しゲームを発見したりしています。安定してきたら少しずつジャグリング全般に手を広げていきます。本当は建物を用意して博物館を作りたいところですが、コロナ的にも困難なので、準備が整ったものから『オンライン皿回し博物館』としてnoteに発表していきます。

ただ、コレクションするのにも結構お金がかかることがわかりました。品物1点あたり3000円で済んだとしても、100点あったら30万円です。びっくり。なのでぜひ、いいねと思っていただいた方、面白そうだなと思ってくださった方、よろしければ下にあるサポートボタンから応援をお願いします。

以上です。最後まで読んでくださってありがとうございました!よいクリスマスを!!

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