新しい靴を購入しました

こんばんは、わたしです。
このたび新しい靴を購入しました。


で、どういうこと?

これまで使っていたスニーカーが壊れかけていたので、そこらへんにあるチェーンの靴屋で新しい靴を購入しました。幅広で、生活防水仕様で、いい感じです。
検討・購入にあたっては、新人らしき若者が一生懸命接客してくれました。
それだけです。

古い靴の素性

この『これまで使っていたスニーカー』は、数年前に亡くなった親族の形見です。生前の彼女がストックしていたスニーカーがたまたまわたしのサイズと合っていたため、これらをすべてもらい受けて履いてきました。このスニーカーは合計で3足あり、すべて同型の色違いでした。
購入場所は、どこぞの激安ファッションセンターであることが判っています。

サイズは合っていたが、サイズしか合っていなかった

さて、もらい受けた靴を履くようになってしばらくしたころのことです。いつものように買い物に向かっていたわたしは、とあることに気づいてしまいました。いや、もしかしたら最初から気づいていたのかもしれませんが、見て見ぬふりをしていたのかもしれません。

廉価品であることを理解した上で使用していたため、この靴自体がある程度チープなつくりであることは覚悟していました。しかしまあ、歩くとなんとなく痛い。ちょっと歩くくらいならなんてことはないものの、長時間の外出では確実に何かがしっくり来なくなってくるのです。端的に言うと、この靴はサイズ以外はわたしの足にまるっきり合っていませんでした。

しかも、廉価品であるため靴自体の寿命も短いものでした。在宅勤務中心であまり外出しないわたしが使っても、半年もすれば底面と側面がコンビ解散騒動を起こしかける始末です。はたして、アクティブな人が履いていたらどうなっていたことでしょう。そもそも本来の持ち主である彼女は自転車族であり、わたしなんかよりよっぽどアクティブでした。彼女はこの靴とどうやって付き合っていたのでしょう。そもそもストックしていただけで、同型の靴を履いたことはなかったのかもしれません。今となっては確かめるすべもありませんが、不思議でなりません。

とにかく、この靴はわたしの足には合っていないし使い続けるとちょっと痛い。それだけは確かでした。

合わない靴vsもらった人

さて、どうしましょう。
もらった靴は3足で、しかも形見。
でも合わない。

まあこうなったら全部壊れるまで履き潰してやるしかないでしょう。
で、故人の実際の意思はさておき、この靴どもを履き潰してやりました。
足、めっちゃ痛くなりました。
故人がわたしの足を痛めつけて喜ぶ趣味があったわけもなく、これはどう考えてもわたしの自己満足です。ですが、それでよいのです。わたしは今後も合わない靴を履くたびに、きっと故人のことを思い出すことができるようになったことでしょう。これは後ろ向きな進化に違いありません。

時には靴が足に合っていることよりも大事なことがあるのです。わたしはそれを身をもって体験し、思い出に浸り、気が済むまで故人を偲ぶことができました。
それから最後に、わたしは壊れかけの靴を履いてチェーンの靴屋に行き、次世代を担う新しい靴を迎えました。そして3足目がバラバラになったことを確かめてから、形見のスニーカーを燃えるゴミの日に出してやったのです。

おまけ

この次に買った靴、すなわち本稿の冒頭で言及している靴が、これまた自分の足に全然合っていませんでした。
この靴は爆速で引退となり、さらに新しいスニーカーに交代となりました。
やっぱり、靴は歩きやすさが大事だなと思いました。
生活って、そういうもの。

※この記事は、2023年に書いた下書きを掘り起こし、増補改訂したものです。


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