人形の首
山岸涼子の短編漫画、わたしの人形は良い人形というホラー漫画がホラー映画とかホラー漫画とかホラー小説とか好きで色々読んだ中で一番怖いと思ったのでホラー好きも満足できると思いホラー好きそうな人におすすめしている。
ホラーといえばやはり映画だと思うが、名作と言われる作品はやはり脚本とか映像が良かったり俳優の演技がよかったり、怖いというより作品としてすごいとかそういうのが出てくるのでやはり怖さだけでいうなら自分で想像して怖くできる小説とか文章媒体が怖いような気がしているが、小説も怖さ単体でいうならプロの小説家がうまく完結させているものよりネットとかの誰が書いたかわからない実話風創作とかの方が不気味で怖いが、なかなかそういうのも小説家志望の人が腕鳴らした書いているものもあってよくできすぎていると怖さが薄れてくる。
そこでやはり一番怖いのは未解決事件とか、本物の怪文書とかだろうか、鴨前ゆきちゃん失踪事件の有名な怪文書とかはなかなか創作ではありえない不気味な感じが良いと思うし、本物の統合失調症などの精神障害のある人の文章もなかなか怖さの上ではプロには出せない怖い感じがあって良いと思う。
また、人が怖い系の小説で有名なのは貴志祐介だと思うが、彼の作品内では幽霊や超常現象では怖さを出さず、人間の異常さだけで恐怖を作っている。彼の作品で一貫して普通の人とはかけ離れた恐ろしい人間として描かれる異常殺人鬼だが、彼の作品、悪の教典の表紙では主人公が行った数々の殺しの中で、庭にでかいカラスが棲みついてうるさくて寝不足なので罠を作って殺して追い払った、という異常者ではなくても正直わからんこともないというか、同じことを畑や庭をカラスに荒らされて困っている人の良いおばあちゃんとかがやっていてもまあわらかんこともないというか怖いというよりおばあちゃん大変だったね。という感想になるので、主人公が行った殺人はだいたいさらっと流されるがカラスを殺したことだけは文庫版の表紙にカラスが使われていたり、象徴的にカラスがことある場面に出てくることで一見自分たちとかけ離れた精神異常者を書いているようで誰でもそういう一面はあるし、ああなる可能性を完全に否定できる人は誰もいないということを書いているのではとか思う、実際に創作物でも現実でもシリアルキラーはそういう発言をすることが多い。次はお前だ、とよくあるシリアルキラーなどの最後の言葉も次の被害者がお前。というよりは次の俺はお前だ。と言っている方がしっくりくるのではないか。
そして悪の教典で主人公が作中で人気者で誰が見ても魅力的な人物として描かれていることは、彼がそう自分をそう演出していることもあるが、本質的に彼がすべての人に冷たく無関心だからだろう。人はなぜが絶対に自己を救わない人間になぜが救いを求める。なぜなら見せかけでない優しさや同情は時に自分にとってみたくない何かを暴いてしまうことを弱りきった人間は熟知しているので、本質的に何も救わない何かを選ぶ、そのことは冒頭書いた山岸涼子の代表作品、日出処の天子にも描かれていて、この作品の主人公は仏が見えるが彼は仏が本質的に何も救わないことをわかっているし救いを求めてはいけない存在だとはわかりながら仏をみてしまう。怖いものの本質はここにあるのかもしれない。
そこで冒頭紹介した山岸涼子の短編集に載っている汐の声でも、主人公があれだけ怖がっていた幽霊と主人公は実は同質だったという重ね技が怖いのではないかと思う。
いくら作り話しとはいえ完全な他人事では怖くない。そういうところをうまく書いていると思う。
また映画のジョーカーも、他のバッドマンの作品を見たあとだと、ジョーカーは不特定多数からの共感などはじめから望んでいない人物として描かれているため、お前は俺、と思った観客をお前は俺にはなれない。と冷たく突き放すジョーカーの一連のジョークとしてあの話が作られたとしたらまさに救いを求めてはいけない人物に救いを求める典型であるし、映画に感化された犯罪者が出てくるところまで彼の考えたジョークが現実世界にまで影響を与えていると考えたらある意味最怖のホラーだろうと思う。
そしてジョーカーがいくら人を殺したとしても、彼のところに化けて出るような人間はいないだろう。もっと俺を怖がらせてみなと煽られ、お前を使って最高のジョークを思いついたと言われ何をされるかわかったものではない。こうなるともうどっちが怖いかわからないというか幽霊の怖さなんて霞んでしまうだろう。小物は死んでも小物だと思い知らせるだけになってしまうだろう。死んでも死にきれないとはこのことだ。
なので私が山岸涼子のわたしの人形は良い人形を怖いと思ったのも、自分の体験、一時期シェアハウスに住んでいた頃、共用スペースに古い雛人形を飾ったり、古い人形を飾ったりして同じ部屋の人が怖がるのを見ては怪しいYouTubeを人に勧めたり怪しい健康法を布教していた頭のおかしい女性がいたのだが、私がその話に反応を示さなかった上に押し付けられた人形をすぐゴミに出したりしたので、明け方に私の部屋にガンガン掃除機をぶつけてきてこいつ物理できやがったと思いイライラして、その女性が飾っていた雛人形や日本人形の首と胴体をバラバラにしてその女性の部屋に投げ込んで、知らないとシラを切り続けた上に幽霊じゃないですか?と言い張ったことでその女性が逆にノイローゼになって出ていったことがあるのだが、ある日ハードオフに行った日古い日本人形を持ち込んで気持ち悪いから引き取れないと言われてお寺に持っていくのを勧められていた人を見た時、あれはやってはいけなかったのかもしれないと思い、あのバラバラにした人形が呪われてたりしたら追いかけたりしてくるのかなぁとか自分と重ねるところがあったからかもしれない。しかし呪いの人形の身になって考えると五体バラして嫌いなやつの部屋に投げ込むやつのところには出たくないだろうし、変な色にペイントされたり魔改造されるのも嫌なので代わりにこの漫画と出会ったと考えるとなかなか怖いのかもしれない。
しかし私の嫌いな人間の特徴に、結局自分の身の回りのことしか考えられられないくらい世界が狭くてその狭い世界に周りを巻き込もうとする人間がとても嫌いなのだが、割と幽霊の特徴と合致するので結局相手を選んで怪奇現象だの嫌がらせを繰り広がるところが私がそういう人間が嫌いな理由のひとつかも知れない。
そして私が最も怖いと思った漫画は、恐怖としては地味だが、精密に作り込まれ、丁寧に描写されることで地味な恐怖をどこまででも怖くできるというある意味自分の一番苦手なことが描いてあるところかもしれないと思うと、やはり人にとって一番怖いのは自分なんだろうと思う。