毒にも薬にもならない
「刺さる」表現って結局誰かにとっては絶対不快なものなんだろうな。と思った。
なんか松本人志が最近炎上しているが、彼の笑いは確かに一定数の人は不快だっただろうけど空気的にそれを言い出せない人たちがいま火をつけているからあんなに不確かな話であそこまで炎上しているのかもなあと思った。
SNSとかだと尖ったり一部の人が不快だと感じる系の「刺さる」表現は炎上したりするので毒にも薬にもならないものが一時的に流行ってみんなすぐ忘れてしまう。100日後に死ぬワニとか言われたら思い出すけどあれが深く刺さってまだ覚えてる人とかいるのかなーと思う。
でもそれで満足ならみんな消毒されたイオンモールの中で完結する文化で満足なはずなのに、イオンモールの中に入っている、値段も納得できて味が保証されていて清潔さも保証されていて態度の悪い店員がいたらすぐ本社に報告されるからバイトでも中高生並みの規則があるイオンモールの中のレストランじゃみんな「何か」が足りなくてめんどくさそうなおっさんがやってる裏道の汚いラーメン屋だとか、ほぼ日本人がいなくて店員もお客も中国語しか聞こえてこない中華料理店とか、なんか洞窟の中みたいに薄暗くて不気味なおばさんがケーキを持ってくるフランス料理店に行ったりするのはなぜか。
イオンモールに入ったファッションじゃ物足りなくてわざわざどこかのストリートの何してるかよくわからない人たちの最先端のファッションを追いかけるのはなぜか。
イオンモールの本屋じゃなくてめんどくさそうな本好きのおっさんがセレクトした古本屋に行きたくなるのはなぜか。
それって結局消毒されて綺麗で万人受けするものは満足できないからだろう。
昔の人はなんであそこまでしてフグを食べようとしたのかはわからないが多分そんな気持ちだと思う。毒で死ぬ危険を冒してでも食べたいという気持ちはまさに嗜好だし、嗜好的なものがそんなみんなと同じなはずがない。誰かにとってめちゃくちゃ面白いものは他の人にとったらめちゃくちゃ不愉快かもしれないくらいの毒を含んだ尖り方をしていないと結局嗜好としては満足できないのではないか。
それは結局SNSが炎上を恐れてイオンモールみたいに消毒された表現ばかりになったときの炎上させてる人をみたら、炎上元より悪質な言葉が大量に出てくることでバランスが取れているのかもしれないと思うくらい。人は毒にも薬にもならない表現じゃ結局満足しないんだなと思う。