KBCラジオの思ひ出
自分は当然福岡出身。なのでロックンロールをよくする。
福岡といふところは珍しい土地で、芸能人が多いのもさることながら、高齢の方でもビートルズやらストーンズやら言うたら直ちに反応す。「ばってん、バート・バカラックも良かね」とか言うて。
だから美人が多いわけだが、これは半島大陸と近い、そんな事情もあるんだろう。つまり、開かれているという。
鮎川さんがFENでロックを学んだのは周知のとおり。鮎川さん世代も俺も、音楽を知ったのはまずラジオ。
KBC九州朝日放送はこの点、すごく貢献してくれた。
◆1976年2月のジングル ー 女性デュオ・ウィッシュによる。
当時わたしは中学2年。深夜放送にかじりついておった。
平日週末を問わず深夜放送を聴いていた。今はどうだか知らないが、当時はテレビでもラジオでも系列がてれこになっていて、例えば大阪朝日放送制作の「必殺」を全国ネットしていたのはTBS。フジ系列の「オールナイトニッポン」を福岡で受けていたのは朝日系の九州朝日放送であった。
月曜1部は拓郎さん(のち中島みゆきさん)、2部が糸居五郎さん。←年寄りのくせにB52Sなんか紹介してました
火曜日は誰だったかしら。デビュー当初のタモリさんは水曜1部。
土曜のオールは、もちろん鶴光さん@ええか、ええのんか[m:46]
オールナイトニッポンが終わると、トラック運ちゃん向けの「歌のヘッドライト」といふ番組をやっていましてね。寝落ちしてふと気づいたら、当該の演歌を聴かされましたわい。
まあ演歌も好きだからいいけど。
朝まだき、夜明け前の暗いころ。
中学生だった自分は、小中と友人だった江藤くんと、チャリンコ転がし遊びに出てました。新装相なったバイパス道路のその坂で、果たして時速60kmを出せるのかと。
60kmはさすがに厳しかったけど、50近くは出せたんじゃないかなあ。
いわば暴走族の奔り。無免許バイクは、もちょっと後の事。
KBCラジオの深夜放送は、あの切なく哀愁に満ちた、朝まだきそのもの。
以前に書いたが深夜放送で、ニッポン放送の女性アナウンサーがこんなことを言っていた。
「仕事が終わって電車で帰る途中、車窓からバレエ教室が見えます。姿かたちは見えないけれど、踊る足だけが」
◆彼女がかけてくれたのは、すてきなダンス。
後年大学に受かり上京したとき、俺はこの話を思い出した。新幹線で東京駅に着き、大久保の叔父の家へ向かう、中央線のその車中で。
アナウンサーが言っていたバレエ教室はこのあたりかと。
◆Tell Me Why and・・・
ビートルズ、こと前期ビートルズとはすなわちノスタルジアの謂。
音楽を教えてくれ、今なお思い出感傷ノスタルジアに耽らせてくれる深夜ラジオに感謝しておる。
また近年では、白血病で余命いくばくもない伯父が、最期のときを過ごした浜の町病院。
天神から至近ながら海の近くにあるあの病院で、伯父は安らかに逝った。
最後の見舞いに行く途中、KBCはあった。ある夏の日、海風が街を吹き抜けていた。
パーティーはそのままに。
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