50年目の憂国忌
■今も残る自決現場=扉に刀傷、駐屯地に石碑も―三島由紀夫没後50年
(時事通信社 - 11月24日 14:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6317774
今日は三島さんが自裁して、ちょうど50年目の「憂国忌」。
俺は三島さんに、必ずしも同意しない。そもそも氏は全く政治的な人間じゃなかったのが、あるお食事券もとい汚職事件を基に書いた『宴のあと』を機に、急速にウヨ化。
書く書かないは別にして、いきなりウヨ化するのは昨今のネトウヨ に似ている。ネットに氾濫するデマゴーグ、「マスコミが報道しない、これが〝ネットde真実〝!」。
在日が、外国機関がマスコミを乗っ取っている。バイデンは大規模な不正をしたから、トランプが大統領選勝利なのだ・・・そんな陰謀論を唱えるバカウヨと三島さんは全く違うが、共通しているのは、
「ある日突然ウヨ化する」
こと。
むろん三島さんは「ビヨウコウ(徴用工)」「カシワゲンパツ(泊原発)」のバカウヨと異なり、知性の根本はあった。『雨月物語』を日本最高の文学と評したし、山下耕作監督『博打打ち 総長賭博』を絶賛し、あるいは『近代能楽集』を著した。
ただ、いかんせん己の生理に忠実すぎて、それが自爆に繋がった。
彼にとっての天皇は、実在の天皇ではなく形而上のそれ。俺も雨月を最高と思う ー 自称日本浪漫派でもある ー から、その感性はわからなくもない。
しかしこの世の現実は、実在の天皇あるいは天皇制は、それとはまた別に存する。厳然として。
ここを間違えてはいけない。
政治とは、マルクスの上部構造下部構造を持ち出すまでもなく、あくまでも「飯」である。人民に、どうやって飯を食わせるか。日々安全にどう過ごさせるかがその目的であるから、観念上の存在は、あくまでも文学にとどめておかねば間違う。そこを混同してはならない。
※最近、例のハーベストタイムの中川牧師が「大統領選は終わっていない!」とYoutubeで。俺は師の聖書解釈には一目置いているので先日もここで引用したわけだが、これ
など、聖書の御言葉を悪用した真に悪質な見解。現実無視の妄言と言っても過言ではない。
だから町山智浩あたりに「だからクリスチャンは!」と批判されるんだよ。情けない。
※ネトウヨ には高齢者が多いと言われるが、歳いってもやわらかな心を持っていないと、かくなるのだろうか。俺は中川師にも、そんな疑念を持たざるを得ない。
いっぽう三島さんは、少年のままに、少年の頃からの生理に忠実。天皇あるいは天皇制というのはあくまでキッカケ旗印であって、彼は己自身に、そしてその生理に「美」を見出したのではなかったか。『宴のあと』をきっかけとした、〝政治〝さらには〝天皇〝を透かして。
俺が理解でき共感できるのは、氏の
・いかにも浪漫的
・己の生理に忠実
この2点である。
・・・
ここまでは三島さん関連。次は別の観点から、「今」を憂います。
[m:831]Go to!
GoTo26日にも札幌除外 道方針 - Yahoo!ニュース
北海道は22日、新型コロナウイルスの感染が拡大している札幌市について、観光支援事業「Go To トラベル」の対象から一時除外する方針を固めた。道は23日に同市と協議し、政府に意向を伝達する。早ければ26日にも停止するという。
news.yahoo.co.jp
嵐山でも東山でも、あるいは羽田でも、この三連単は大混雑だったそうな。しかし実はコロナウイルス絶賛流行中での。みなさまご自愛ください。
こんな調子じゃ年末年始、またもや帰省は無理だなあ。。。
ここのところのマイブームは小林旭。彼は映画スターの生き残り。健さん亡くなり文太さんが逝かれ、生き残りは仲代さんと千葉ちゃんくらいかしら。
氏は東映『仁義なき戦い』でも武田@二代目共政会の服部武会長を好演。しかし一般には、日活のマイトガイ。
旭さんのYouTubeチャンネルに、登録したりしなかったり。曰く「今は役者がいない」。
アキラさん ー なぜカナにするかというと、若者が「アサヒさん」と呼ぶらしい(ご本人談) ー はしかし、歌手でもある。昔の映画スターはひばりお嬢に鶴田のオッさん、概ね歌手兼業で、例えば次郎長映画でも、それは殆どミュージカル。
小林旭さんは何と言ってもあの声な。それで広大なる世界を表現。
◆大瀧詠一作のこの曲は、本人の歌唱よりも広がり余りある。熱き心に。
♪赤いトラクター♪ばかりじゃ決してないのでして。
春日太一氏の著作(インタビュー集)にもあるとおり、偉大な役者が異口同音に言っているのは
「映画でも舞台でも、タレントはダメダメ。しかし歌手は常日頃から一瞬にして世界を構築できるから、芝居ができる」
歌手といっても北島サブちゃんあたりですよ。昨今の自称アイドルやジャニタレじゃなくって。
※だから男女を問わず、ロリは駄目なんだよ。ロリでもジャニーズでも歌手でもないけど堺雅人だの何だの、中性的なふにゃふにゃ連中は。いっつも薄笑い・おんなじ顔しやがって。
三島さんは「右」だったが、小林旭さんや俺は、その点「極右」である。
◆北帰行
これはノスタルジアかも知れない。俺らロートルにありがちな、多分そんな部分もあるだろう。
ただ、「本物」を知らぬ、そんな世間が情けなくて仕方ないのも確か。政治屋でも何でも。
時が経てば〝基準〝は変わる。それは世につれ歌につれ致し方ない事じゃあるが、世阿弥観阿弥の昔から、本物は一本。だからこそ歴史の風雪に耐えてきたのだ。
三島由紀夫氏はロートルだのそんな歴史というより、自身(天皇)に対するノスタルジアで観念的に自裁したが、45歳まで、ある意味若き心を持っていた。
熱き心に。
中川牧師やネトウヨどもは硬直し、現実を見られなくなった。
共通点は「観念=己の願望」だが、俺は三島さんの方が随分マシと思う。どっちもどっちとは言い条、氏の方が考えさせてくれるから。「これは一体何か」と。
要は、理想(例えばキリスト、例えば天皇)を抱きつつも、現実を見る事である。
自己にせよ国家にせよ、何が防衛か。それは本物を知り、そこから距離を測り、軽々たるを卑しむ事である。
しかし旭さんで一番好きなのは、この曲。
◆北へ
真冬の浜辺に 傷あと埋め
夢はあきらめて 北へ流れる
これが不肖ワタクシの、50年目の〝憂国忌〝。
俺の故郷は南ばってんがね!
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