復讐するは我にあり
■「調教師から暴行」中央競馬の大塚海渡騎手側が被害届
(朝日新聞デジタル - 01月12日 20:06)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6374582
今日はどうやら、ディスる日らしい。
競馬好きとしては、この事件に触れないわけにはいきません。
大塚騎手が調教師をパワハラで提訴(サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース
昨年1月5日の落馬事故(頭部外傷、脳挫傷の疑い)後、休業中の大塚海渡騎手(20)=美=が、所属先の調教師から暴行を複数回受けたとして5日に稲敷署へ被害届を提出し、受理されていたことが12日、分かっ
news.yahoo.co.jp
関東は木村厩舎所属の大塚騎手が再三にわたり、同調教師から暴行を受け提訴。
木村厩舎といえばマイルG1を勝ったステルヴィオに、プリモシーン。有馬記念で若干ワタクシどもの耳目を集めたオーソリティなど〝名門〝とさるる。
いっぽう殴られた大塚騎手は、はっきり言ってターヘー。昨年新人君の時、他馬に乗っかりあわや大事故。また、彼の父君は同じ関東美浦の(木村とは別厩舎の)調教助手。
こんな背景あってか、ヤフコメはじめネット上では、
「殴られるには殴られるだけの理由がある」
「大塚騎手の父ちゃんが、変な圧力状態なのではないか」
「わたしも昔、殴られた。それで今は感謝してます」
なんて馬鹿が。
そもそも、それとこれとは別だし。大塚騎手が事故を起こさんばかりのターヘーとは言い条、暴行はダメでしょう。
次に、父ちゃんがよしんば〝美浦の権力者〝であったとして、それも暴行とは別義。
さらに、あなたが昔殴られて、それで改心あるいは技術高まったとしよう。だから何?
そんなんあんたの狭い世界の事やんか。一般化するなちゅーねん。
殴られた数なら、俺だって決して負けない。だってスイミングクラブじゃ指のないSコーチが
「まず3Kmな」
次いで
「50mダッシュを70本よろしく。あ、毎たびちゃんと、飛び込み台まで上がってプリーズ」
そうして、ハァハァ言ってたらアクアラングのヒレで50 数回ブッ叩かれたという。指もないくせに。
これは昭和40年代の事象(本当)
うむ、確かに俺はそんなことで肩幅が自動的に広くなり、心拍数だって40台でしたよ。30歳くらいまでは。
だから何?
そんなん俺の、せっまい世界やんか。戸塚ヨットスクールって知ってる?
今は違う。暴力は、決して行使してはならない。
子ども時代は兎も角、社会に出ていったん暴行したら直ちにアウト。いかな偏差値の低い競馬界であっても。
俺は決して〝暴力否定論者〝じゃない。ヤクザが跋扈する昭和30-40年代の炭鉱町で生まれ育ったし、暴力(笑)をふるったことも再三。
そして、ここ1番「もはやこれまで」の際には殴る蹴る、報復するはやむを得ない時もある。
だからこそ言うのだ。
「暴力は絶対に駄目だ」
暴力が肯定されるのは、いわば報復のみ。あるいは国家や自分・身内が侵略された時だけ。
それでも聖書にある。「復讐するは我にあり」と。
愛する者よ、自ら復讐するな。神の怒りに任せまつれ
主いいたまう。復讐するは我にあり。我これを報いん
ー ローマ人への手紙 12章19節 ほか ー
◼️今村昌平監督『復讐するは我にあり』
原作は佐木隆三@八幡製鉄広報部の成れの果て。これこそ我が故郷の近隣で、俺が生まれた頃に起きた事件という。
俺は従前、例えば神戸のサカキバラ事件の際「あり得ないでしょう。犯人は死刑なんかじゃ駄目。直ちに市中引き回しの上、獄門に処すべし」なんてことを言っていた。
すると母が、
「あんた、なしそげな恐ろしかことを言うとね。あんた、そげな人間になったとね」
殴られはしなかったが、そう叱られ・・・というより、慨歎を前にした。
当時、俺はクリスチャンじゃなかった。その2年後くらいに主イエスの子分になったら、あれ不思議。死刑も絶対反対。
ええ、コペルニクス的転回です。
大塚騎手と親父さんは、ガッツリ訴えれば良いと思う。それは決して「復讐」じゃないから。
先日のほれ、コロナに罹るとマズいから引退しますの力士がいたでしょう。彼と共に本件は、世の中に問うている。「はたしてこれで良いのか」と。
こんな行動こそ、聖書的にも「地の塩・世の光」となり得るものだ。
◆ストーンズ ー 地の塩
そして明日は京成杯。俺はタイムトゥヘヴンを早くも買っちゃいました。
単複な、単複。
◆参考レース(彼氏は4分30秒頃に登場)
なぜと言うに、出走馬が概ね前走スローペースだったのに対し、彼は平均ペースでこの走り。
最内枠も良い。鞍上デムーロには一抹の不安があるけれど。
そしてヴァイスメテオールも買いたくなりますね。
でもなぁ。木村厩舎なんだよなあ。
お馬さんには何の罪もないけれど、だから買いません。