ディスる朝(「反対するなら代案を出せ」の嘘について)
◼️「批判するだけ」は本当にダメなの? “代案”をめぐる意見に賛否分かれる
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議論を行う際には相手の意見を尊重しつつ、しっかりと批判を行うことが大切。ですが“代案”を用意しない批判は建設的ではない、という考え方もあるようです。今回はそうした議論の方法についての様々な見解を紹介...
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この記事についたmixiコメントの数々を、まず晒します。↓
な、ほとんど馬鹿だろ?
批判は批判自体で常に有効。アンチテーゼを置くことで改善を促す。人類は数千年もの間、そうやって生きてきたのだ。
で、代案について。〝代案〝なんか考えてるうちに物事が進んじゃったらどうすんの。
今の為政者も経営者も、アホが多い。「これって何か変じゃね?」そう思った時点で直ちに異議申し立てをしないと、悪いことになる確率はおよそ67.5 %を超える。
また、こんな話も。
とあるレストランの事。ある日ある時、そこのAシェフが言い出した。
「新メニューを開発すべき。改革すべき!」
当該のレストランはそこそこ儲かっている。特に問題は見当たらないから、別のBシェフ。「いや、別に今のままでイイんじゃね?」。するとA氏は、
「反対するなら代案を出せ!」
もう笑い話ですねこれは。
そもそも問題がないところにわざわざ問題を提起し、「反対するなら代案を出せ」。そうイキるという。
これがわーくにの現状ですわ。
改革、改革喧しく、「いやそれって」など言うとすかさず「抵抗勢力! おまえは改革に反対するのか」「じゃあ代案を出せ」なんて頭Qが。いや、もともとそれって何にも問題なんかないから。
従前申し上げたとおり、回答以前に質問を設定するのにはインテリジェンシィが要る。そこへ持ってきて、知性の欠片もない連中が、わざわざ問いかけてくるから話がおかしくなるのだ。
今のジミンや詐欺師集団維新、および上記のmixiコメンテイター・支持者どもが日本を社会をおかしくしてるわけ。
※「改革」「反対するなら代案を出せ」という連中は、まず信用しないがいいです。批判の効用を全く知らないし、以上のとおり、「馬鹿改革」が圧倒的に多いから。
とはいえ、俺も〝代案〝を書いたことがなくはない。例えば
「まず主人公他、自分が絡む人物との関係図をいったん書いて、それで役作りをしてみたらどうでしょう」(宝塚月組『パリの空よりも高く』)
「演出家・木村信司が芝居のテンポを重視するのはわかる。が、それでも、カラフ(和央ようか)がトゥーランドット(花總まり)に初見で惚れるのは説得力に欠ける。ここは一発バラク(大和悠河)と二人して、じっくり・ぼんやりする場面を設けてもよいのではないか。自分の思いに向き合い、咀嚼・熟成するという」(宝塚宙組『鳳凰伝』)
罵詈雑言は棄ておけばよいけれど、劇評は少なくとも非難じゃないからね。批判であり批評。
ここで「批」の一字に騙されてはなりません。批とは、
・比べて、よい悪いの品定めをすること
・上奏した文書を君主が認めること。例「批准」。
むしろ積極的な意味なのよ。
そして「批」には、これまたインテリジェンシィが必要なのでした。
ここで、ディスります(笑)
がはははは! さすが中川家である。俺も日本人の5%に入っとうで♪
次は博多であり得ない、ラーメンが1,000円もする、かつタダの高菜が置いてない店を喜ぶ人の動画。
この人、完全にボラれてます。
俺に言わせりゃmixiコメントの連中こそ、
・ヌルい
・平和ボケ
・頭がお花畑
要は、すぐさま完全に騙されるぞという。
では音楽。
これもある意味、音楽よね。