バケモン(2)
まずはこの動画をご覧いただきたい。
◆山根真吾 ー これからご覧になる皆様へ(Part1)
反応薄いとあるが、これはとにかく圧倒されたものだろう。自分が観た近所のミニシアター@宝塚では笑いが起き、食い入るようにみんな観ていた。そしてプログラム代わりのA5コピー用紙、裏表で2枚。1つはライター唐澤和也、もう1枚は映画監督西川美和の文章を、ほぼ全員が持って帰っていた。
西川美和は鶴瓶初主演の『ディア・ドクター』を撮った。40代半ばの偽医者が過疎の村の診療所に潜り込んで医者になりすますうちに、いつしか村民から神のように頼みにされる。
軽い気持ちから手を染めた悪事。それが重圧となっていくのだが、人に求められれば手を貸さないわけにはいかない。逃げたくとも逃げられない。
来る球は、打つしかない。
◆ディア・ドクター
落語『らくだ』がそうだが、人の生も死も、日常である。死は訪れたとき突然「非日常」と化すけれど、俯瞰して見ると死も日常。
なんとなれば、人間の死亡率は実は100%だからだ。
映画『バケモン』で鶴瓶は少しだけ、『徂徠豆腐』という古典落語を語る。江戸中期の思想家・徳川幕府の政治顧問だった荻生徂徠に材を取った噺。
「死ぬのは怖くない。でも、何にもしなくて死ぬのは滅茶苦茶怖い」
自分は何にもしなかった。したような気もするが、それは気のせい。
あなたはどうか。
家でひとりで寝ていても、珍事は勝手にやってくる。「死」なんて大袈裟なことではなくても、メールや手紙。健康保険料を払え、あれやこれやをいついつまでに請求するぞ。
そして、雲の動きや月の光。
来る球は打たざるを得ないが、これを含めて「生」である。
コロナ禍が終わったら、鶴瓶さんには懸案の〝らくだワールドツアー〝をしていただきたい。
映画ではそのトライアル場面があった。慶応大学で留学生に、字幕入りで『らくだ』をやった。
大受けしたが鶴瓶さんは満足しない。「だって字幕があるやんか」と。
あらすじのみ、冒頭に英語で。本編は字幕なしで、ガチで。それでウケなければアカン。
芸人とは言われへん。
芸人も役者も、つまるところ人間力である。よしんば言葉が分からなくても、一所懸命演じたものが伝わらなくては意味がない。
字幕なしで『らくだ』をやった鶴瓶さん。ただひとり、日本語を全く知らないフランス人の女学生が泣いていた。
鶴瓶師匠は言う。「10人いて9人が分からなくても、俺は残った1人のためにやる。それが芸とちゃう?」。
これを孤高とあなたは言うか。しかし芸も人生も、そんなものではないだろうか。
誰にもわかってもらえなくても、来る球は打たなくてはならない。
では本日、宝塚星組『柳生忍法帖』を観に行きます。何もしなくて死ぬのは怖いから、語ります。
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