正しさ
30日ブログ1日目。
学校や職場などあちこちで聞く「正しさ」ってなんだろうか。
最近自分の中の正しさの定義がよくわからなくなってきていて、思考について一皮剥けそうな予感がしている。
自分はこれまで、絶対的な正しさがあると「信じて」いて、そう生きていた。
ただ、色々めぐり廻るうちに最近はそんなものが無いと思い始めている。
あくまで正しさは人間の作りだした概念でしかない。
大草原の中、ライオンやトラなどがはびこる自然界にいた頃に立ち返ってみれば、生きるか死ぬかの2つしかなかった。
今で言う正しさの欠片などひとつも無い。自分達が生き残るために他種が絶滅しようが構わなかったあの頃。今は種を絶滅させようものなら非難轟々の嵐なのだが。
子を残し子孫繁栄をするためには、他者を蹴落としてでも生き残るのは生物として当然のことであり、そのことは攻められるものでもない。
この他者を蹴落とすという点については、今の現代社会にも根付いており、その点は興味深いなと思ってしまう。
正しさというのはざっくり言ってしまえば、人間が絶滅しないためにやること、みたいなものだ。
例えば、人を殺すということは正しいことでは無いと今日では認知されている。人が人を殺すような事が日常茶飯事になろうものなら、絶滅してしまう危険性が跳ね上がる。
数千年前には生きるために絶滅しようがおかまいなしに他の動物の殺戮を繰り返していたのに、今は絶滅危惧種を保護しようだのと言っていたり変な話である。
自分たちがこの世界を総べる神のようなものだと思っているのだろうか。
実際、核兵器やらバイオテロやら駆使すれば地球上の生き物を絶滅させることだって不可能ではないだろうが。
言いたいこととしては「絶対的な正しさ」などないということ。
さらに細かく言えば、正しさというのは当人にとって都合のいいことでしかなく、また、人によって移ろいゆくものであるということも言える。
自分の中でブレることの無い信念というものを持って生きれれば、他人の正しさに振り回されることも無くなるのではないか。
ただ、自分の信念を周りに振り回すような真似はしたくない。
必要な時、必要な場面で出していけたら、それでいい。