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往復書簡:4通目。無風

こちら、ちょっとばかり前に書いたものではありますが。

イロコさん

随分お返事が遅くなってしまいました。ごめんなさい。

こんなことを堂々と言うべきではなかろうと思いつつ、最近さっぱり仕事に身が入りません。やる気が出ないのが仕事だけならまだ良いのですが生活全般がどちらかというと無気力の側に針が振れています。昨今の感染症の状況もあってほとんど在宅勤務で家にいるのに、ジムもほとんど行けていないし、カフェにでも行って気分転換を、と思うこともあるのですが億劫な気持ちが勝って約束でもない限り家にいる毎日です。まんぼう的には優等生です。
無気力だからこそ進みが遅い仕事、やらなければならない物事をそこそこ抱えているということと、時間を消費するコンテンツはいくらでも身の回りに溢れていて、暇ともいいがたく今の所日々をやり過ごすのにあまり困ってはいません。


わたしは鈴ちゃんが手に入れたいものに向かって力強く一歩を踏み出していくさまは、じつはわりと好きなんですけどね。

お手紙の最後のこのコメント、ありがとうございました。手に入れたいものがあって自分でもよくわからないくらい執着し、手を伸ばそうとしている時が自分にあることは知っているのですが、今の私はこの状態からはなんだか遠いところにいるなと思います。

仕事で成果を出して出世したい、何者かになりたい、好きな人を手に入れたい、誰かに認められたい、、煩悩ではあるかもしれないけれどそういう目的がはっきりして入れば頑張れるというものだけれど、今はそういう衝動にかられることもなく、欲しくない訳ではないけれど、まあとりあえずこのままでもいいかと思っている。幸せな状態とも言えるのかもしれないですが、なんだか閉じていてこれで大丈夫なのかなとも思います。

最近私はたまたま見つけたブログの影響を受け、部屋の中のモノを減らそうと試みています。知らぬうちに溜まったビニール傘や化粧品の試供品でさえなんだか捨てるのが勿体無い気がしてしまうのに、お気に入りだったはずなのになんだか似合わなくなってしまった洋服や、もらった人の顔を思い出すようなものを処分するのは気が引けるのですが、今や不要になってしまったモノたち分の高い都内の家賃を払うわけにはいかないのだと、「今のお気に入り」でないものを少しずつ手放しています。

こうやって家の風通しが良くなっていく間に、随分執心していた人間関係にも一つの区切りのようなものがありました。そこまで心の状態を持ち崩さなかったのは良かったことでした。かつていくらお気に入りであっても、時間が経てば思いも変わってしまうものもあるのだなと思わざるを得ない。でもそれは同時に自分にとって(善かれ悪かれ)大きな価値の軸だったものが失われたということでもあって、「ここまでこれて良かった」と「ここまで来てしまった」という気持ちが両方存在しています。未来とか目的とか目標とか、そういう遠くの目指す点がすっかりない場所に今自分がいること、無風の今が怖くも寂しくもなりました。

洋服は随分減らした気持ちでいたのに、今後のためにと残った服たちをクローゼットアプリに登録したら冬服だけで軽く100を超えていました。身軽な生活とはまだほど遠いところにいます。しばらく、本当に気に入ったもの以外は自分のところに招き入れないという姿勢で行きたいと思っていますが、そういう閉じた感じってセレンディピティを奪ってしまうんですかね。それがちょっとだけ、心配です。

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