見出し画像

「嫉妬」ってどんな感情?__私にとって。

嫉妬の定義は「自分より優れている人に対する羨ましさと、妬ましい気持ち。あるいは、好きな人が自分より他の人と親しくしている時に生まれる気持ち。」みたいなところだろうか。
自らを振り返って考えてみると、私はたくさんこの感情を持ってきたようで、意外とうまく抱えられなかったことが多いように思えた。

家から近い公立の小中学校に通っていた私は、同級生の中では勉強ができる方だった。運動も平均点くらいにはできたし、音楽や家庭科も不足ない程度にできた。学級委員なんかもずっとやっていたし、まあ優等生だったと思う。

そんな優等生は高校受験を頑張って、周辺地域では最も偏差値の高い都立高校に入学した。本当に良い高校だったと思うし、良い友人や先生に恵まれ、3年間は今振り返っても楽しくて輝いていた時間だった。でも、この時代から自分に強く植え付けられたものがある。それが自己嫌悪感。

東大入学者を多数輩出する進学校であるだけではなく、文武二道の理念を掲げるこの高校は、周辺地域のトップクラスに優秀な子ばかりが集まっているところだった。

勉強ができるのにスポーツまでできて、カラオケが上手くて、見た目も可愛かったり(格好良かったり)する。気取ったところもなくて、人望まである。よく話を聞けば、由緒正しい家柄だったり、親は名の知れた会社の良いポジションをしていたり。そんなやつばっかりだった。

私がいくら中学校で成績が良くっても、こんな中に放り込まれれば太刀打ちできなかった。すごく最初でつまづいてしまった勉強は、授業にもついていけない。スポーツも大してできない。歌は下手くそだし、顔も別に美人じゃない。とにかく周りが眩しくて、自分が惨めだった。

多分、この時の最初の感情は「嫉妬」だった。けれど、嫉妬の矛先を向けるには、みんないいやつ過ぎた。素敵で、大好きだった。

そうして私は、向ける方向のなくなった矛先を、思いっきり自分に向けた。

「なんで私はできないんだ」
「なんで私は頑張ることすらできないんだ」
「こんな自分なんて嫌いだ」

毎日毎日、こんな言葉を自分に浴びせていたら、見事に洗脳に成功し「私なんて」「どうせ私は」が口癖の私が誕生した。

本当は、そこで彼女ら/彼らにできるのであれば自分にもできるとエネルギーに変換できれば良かったんだろう。こんなにこじらせてしまうなら、嫉妬していた方が良かったのじゃないかとも思う。
けれど、私は自分に甘くて、そして他人をうまく憎めないくらい優しかった。

こうして私は、嫉妬をあんまり抱えないように心がけてきた。嫉妬という感情はない方が良いと捉えていた。
けれど、必ずしもそうではないのかの知れない。嫉妬を抱くには、「自分だって同じところに立てるはずだ」という自己肯定感が前提として必要みたいだから。嫉妬しないというのは、単なる諦めかも知れないから。嫉妬は自分の本当の望みを明らかにする感情かもしれないから。

それなら私はもう少し、「嫉妬」していたい。

読んでいただきありがとうございます。 サポートいただけたら、書籍代などさらに素敵な文章を生み出すための勉強代に充てさせていただきます!