回転するワニはアートなのか?ーー「ワニがまわる タムラサトル」展 (国立新美術館)
今、美術館の大きな展示室で、ワニがまわっています。
ワニがまわると、なぜアートになるんだろう?
▍ただひたすらに、ワニがまわっている。
六本木にある国立新美術館で開催中の「ワニがまわる タムラサトル」展。広大な展示室1室で、大小さまざまなワニがただひたすらまわっています。
12mの超巨大ワニが水平方向にゆっくりとまわり、1,000体を超える15cm程度の小さなワニたちが足もとでまわり、直列に並んだワニたちは横向きにまるでロースターのようにまわり…
この不思議な光景の答えを探して「解説」を読めば、「ワニがまわる理由は、聞かないで欲しい。」なんてはぐらかされてしまう。
「アート」と言えば、なんらかの意味や思想が込められていて、「”ワニ”のモチーフは、絵画では○○を暗喩するものであって…」とか説明できなければいけなそうなものなのに、あっさりと作者本人の言葉で「朝起きて(中略)なぜか『ワニがまわる』という絵が浮かび、それを作ることにしました。」なんて語られていたり。
意味は分からない。でもとにかく面白い。それってなぜなんだろう?
▍ワニがまわると、なぜ面白いんだろう?
「ワニがまわっている」状況は展覧会のタイトル通りだし、実は、展覧会を見る前にSNSで写真は沢山見ていました。それに加え、webの記事で「12Mのワニがまわっている」という情報もちゃんと知っていたのに。なのに、実物を目の前にしたら、やっぱり驚きがあって思わず「ふははっ!」って笑ってしまう。
「「情報」は知っていても、なぜやっぱり面白いのだろう?」と、展示室でまわるワニを小一時間ほど見つづけながら考えていました。
まず、「想像を超える『違和感』」があったこと。「12Mのワニ」と情報では知って想像していても、それが目の前に現れて、巨大なモーターがただ巨大なワニを回すという意味の分からない仕事をしている様子を見たら、やっぱり「いや、おかしいでしょ!」なんて感覚になってしまいます。
それから、「圧倒的な『物質感』」。写真で見ていたときと違って、目の前で動き回る作品を見た時、目から感じる”質量”とか”素材感”が、写真や映像で見ていたときとは桁違いに大きく感じられました。目から入ってくるこのワニ1匹を自分で抱きかかえてみるような感覚というか。もしかしたら同じ「ワニがまわる」状況でも、CGでつくられた映像作品だったら感じ方は違うのかもしれません。
最後に「想像以上の『多様性』」。色や大きさ、ワニの回転の方向、それから回転する方法… モーターで静かにまわるだけじゃなくて、プロペラの推力を使って「ギュン」と音を立てながらまわるものとか。作品に近づいたり引いたりしながら、”全体”と”個”を交互に見られる展覧会の会場ならではの面白さかもしれないですね。
「なぜワニがまわると面白いのか?」の答えについては、実はアーティストのタムラサトルさんご本人のインタビューでご本人が回答されてます。大学時代に本作品を制作した後の2年間、その理由を考え続け、「最終的に、ワニがまわっているという変な状況が一番面白いんだということがわかりました。」と。
突き詰めたら、やっぱりそれに尽きるのかもしれないけれど、思わず笑ってしまう面白い要因は、考えてみたらまだまだあるのかもしれません。
▍まわるワニはアートなのか?
おもしろくて良い展覧会だったなぁ…と帰りながら、今度は「でも、これって何で「アート」なんだろう?」という疑問が。
じゃぁ、そもそも「アート」って何だろう?と考えていくと、自分にとっては、「”世界の見え方”を少し変えてくれるもの」なのかなと。
”世界の見え方”というのは、例えば「光の捉え方」を意味することもあるし、「一方向からしかみえていなかったモノゴトを別の視点からみせてくれる」ことも、「”常識”だという思い込みをかえてくれるもの」もあると思います。
そういった意味で、自分の想像していた範疇を鮮やかに裏切る”わけのわからないもの”、自分の常識をはるかに超えてしまうものは、「アート」になるのかもしれないなと。
タムラサトルさんのインタビューを拝見していたら、「動く作品の魅力」について、「ナンセンスな割に、理屈が通らないと動かない、パーツが1個でも足りないと動かないという矛盾」とお話しされていて。そんなナンセンスさも魅力なのだなと感じました。
とにかく楽しくて、その一方で「アートって何だろう?」なんていう事まで、ワニが考えさせてくれる展覧会でした。