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「水俣曼荼羅」を観る
2024年8月4日『水俣曼荼羅』(旧大津公会堂)の上映会。前日の8月3日は、病床の父と最後に話ができた日だったので、その意味でも忘れがたい日である。
二回の休憩を挟んで、6時間12分の堂々たる作品だった。
原一男監督のトークも合わせて8時間のイベントだったが、長さを感じなかった。
原監督は、ドキュメンタリー制作の本義は「人間の感情を描くものである」との信念を著書で語っている。
その通りで、年月をかけて水俣病に関わる一人ずつの人間に迫っていく。彼らの喜びや怒り、迷い、揺らぎなどの感情の細部が映しだされ、親しみが湧き、映画を見た後の日常生活の中でも顔が頭に何度も浮かぶようになる。
とくに印象に残ったいくつかの場面。
坂本しのぶさんが、かつて思いを寄せた人から、深い尊敬を込めた言葉ではあるにせよ、「闘っている患者の象徴として」見てきていますと言われる。しのぶさんは笑顔で聞いていたように記憶しているが、どう受け止めているのかとはらはらさせられた。患者という属性を通じてしか見られないことを寂しく感じたのではないかと勝手に想像してしまった。
友人が鑑賞後に、恋愛をエンタメ化する視点はどうなのか、というようなことを指摘していた。
生駒さんが検査に難色を示し始める場面も、とても心に残っている。病を見せないために、おしゃべりの中で話題を工夫し明るく見せるようにしてきた、と語られたときに、監督がトークの中で言っていた「一枚剥いた本当の感情」が見えた。明るさの影にある苦悩と努力に胸を突かれた。
医学者たちは、時々、自分の学問的な興味だけで突き進んでいるように見える場面もあれば(とはいえ非常に重要な仕事をしている)、感覚障害が患者さんの日常にどんな影響を及ぼすかを語りながら泣き出す場面もあり、水俣病への向き合い方が多面的に捉えられていた。
もう一つ、鑑賞後に友人たちと感想を話しているときに、少し引っかかるという意見がでた場面があった。
監督の著書を読むと、作り手として黙って聞いていてはいけないと思ったけれども言葉が出てこなかった、それで石牟礼さんの言葉とくっつけることによって観る人に何かを感じ取ってほしいと観客に委ねたそうである。
これはこれでひとつの優れた選択だったのでは、と思う。
患者さんや、支援者の人たち、医学者たち、それぞれ異なる感受性をもった人間なので、私たちと同じようにいびつさも抱えている。それぞれの人が、考えを少し変えたり、協力姿勢を翻したり、さまざまに迷いながら時を過ごしていく。その矛盾も含めて映し出すことで、場面場面で、観客が深く考えさせられ、問いがいくつも生まれるような作品になっていたように思う。
上映後の原監督のトークでは、小津安二郎を意識したと言っていた。
激烈な個性をもつ人物を中心に据えたキャリア前半の作品とは対照的に、後半では市井の人々の悲哀を撮るようになったとのこと。
かつて映画の主人公に据えてきた、権力に自由自在に喧嘩を売る強い個人がいなくなり、複数の市井の人びとの日常を描く映画にシフトせざるを得なくなった。
その反面、映画のなかで、患者会総会で1人だけ反対に手を挙げた人に、監督が「ものすごく感動した」と感情を込めて伝える場面があり、著書でも、原則をゆずらず反権力を貫く川上さんたちへの思い入れが語られる。原さんは、まだ、1人で立ち向かう個人を探し続けているのかもしれないと感じた。