「みどりの川のぎんしょきしょき」を読む
「みどりの川のぎんしょきしょき」
いぬいとみこ 作 / 太田大八 画
小学生のころから手放さずに大事にしている本。
1968年版が絶版になり、1978年に、福音館書店により太田大八さんの挿絵で復刊された。
小学生の頃、作家になることが夢だったので、いぬいさんに助言を求める手紙を書いて送った。
小説を書くには、人間のよいところ、醜いところも知った上で、人間を好きになることが大切だと
いうようなことを書いてくださったのを覚えている。
そのハガキは、実家の引越しなどで紛失してしまったのだが、
この「みどりの川のぎんしょきしょき」を読み返すと、いぬいさんの人間観が、鮮明に織り込まれているのがわかる。
団地のなかで、犬や猫を飼うな、と主張する告げ口屋の住民たちを、子どもたちはいやな人間、悪い人たちだと考える。
しかし、魔女おばさんはこう答える。
「・・・たしかにきそくにやかましい、こころのせまい人びとでしょうね。でも、あの人たちは、川の水をよごす、青酸カリを流した工場にたいしても、いっしょうけんめい、抗議をしている人たちなのです。わたしに、それをおしえてくれたのは、年とったサイカチの木と、ギンヤンマのきものをきて、このへんにていさつに飛んできている、小さい川の精のぎんしょきしょきたちです。それに、ものごとは変わるものですよ」
悪はそう単純ではない、といぬいさんは伝えてくれている。
魔女おばさんがいいほうの人と悪いほうの人のふたりいて、おそらくそれが合わさってひとりであることも、それを象徴している。
魔女おばさんの兄は、広島の被爆者だった。
「・・・世界のどこの川にも、むなしく殺されて流れていくいのちがあってはいけない・・・、」「じぶんもまた、にんげんの『悪』につらなる身であることを忘れずに、ぎんしょきしょきのしごとをたすけていきたい」
原爆症に冒された兄の言葉である。
読み返してみると、この語りには、作者の渾身の力がこめられている。
子供の頃は魔女に惹きつけられ、彼女のことしか記憶に残っていなかった(不注意な読者であった)。
後書きにも、いぬいさんの自戒を込めたメッセージが綴られ、小さい読者たちに、希望が託される。
高校生になったかつての読者が、日本史の宿題で広島のことを考え「何も知らずにいたことが、魔女おばさんにもあのお兄さんにも、わるい気がしてきたわ」と、いぬいさんに語ったそうである。
郊外の団地の斜め向かいの魔女の部屋を、夜のベランダから眺める子供。逢魔が時に、団地近くの柳の枝のあいだから、川の精(ぎんしょきしょき)が、子供たちや犬と猫を別の世界に誘う。子供たちの日常と、魔女や川の精の世界との行き来がとても魅力的に描かれる。
1968年に最初にこの物語が書かれているが、所々に醸し出される怖さや、子供たちに「たたかい」かたを示唆されるくだりには、切迫感すらある。
いぬいさんは、もうその頃から、べつの形の戦争の足音が近づいていることを感じて、子供たちにこの不思議な物語を通じて伝えようとしたのではないか。この年は、水俣病の公害認定の年でもある。