
心に風が吹かないならば。#月一エッセイ
「この内容はあんまり書きたくないなぁ」と思いつつも、今はこれしか書けないんだろうという確信がある。
要するに、自分は弱音を吐きたくない。
誰かに向けて吐露する、しかもnoteや不特定多数の人々に、というのが本当に嫌だと思う。何せ、自分自身がそういうnoteをあまり読まないものだから。
でも書く。ちょっと覚悟がいるけど、書く。
noteに最近出現しなくなったのは、単純に「小説が読まれない」からだ。
もちろん自分の力が未熟で、小説の魅力が薄いというのもあるし、「そんなことをいうのならば別のところで書けばいい」と、心も答えてくれているんだけれど、かといってエッセイを書くほど、己の技量は磨かれていない。
「ない、ない、ないばっかり」
一時期はものすごく考えた。
うなされるぐらい考えたし、辞めることだって考えた。
それでも、この間の100問100答で答えた通り、「書く」はどう頑張っても自分の生命線となっている。
仕事中でも、食事中でも、寝ていても、頭が世界を考えている。
そしてそれが許される環境にいる。だが、指をキーボードの上にかざすと動かなくなる。
「何が書きたいんだ?」
それまで稼働していたはずの思考が停止する。真っ白になる。これが何度か続いて、とうとういったん書くのをやめることにした。
その代わり、人に会った。
今まで知らずにいたハンドメイド作家さんの売り子の手伝い、見知らぬ人が商品に対してこれほど興味津々で見つめ、愛情を注がれて作られたものにさらに愛情が注がれるのを目の前で見た。
音楽のイベントに行った。生演奏どころか、音楽界隈の人に会い話すことさえ初めてだった。なけなしの知識で会話を始めると、相手はとても気軽にいろいろなことを話してくれた。
心の中に風が吹かなければ書けない、と、以前どこかで自分が言った。
風が吹かないなら、こちらから扉を押し開けて新しい風を入れてやる。
「なんだかつまんないんだけど」
昔、母にそう愚痴るたびに、彼女はあっさりとこちらを見ることさえなく返してきた。
「じゃあ、なんかつめれば?」
当時、その返しは日本語としておかしいような、いや合ってるのか?と疑問に思っていた。とりあえず、「へーい」と軽く返して、「やっぱりつまらないなぁ」と思いながら時間を無為に過ごした。
今、その言葉がずどんと来る。
つまらないのを放っておいたら、当然そのままで何も変わらない。なにか「詰める」しか、なにか「やる」しか、選択肢はない。
本当はもっと別のことが書きたい。頭に広がる幻想や科学的な世界のこと、そこで動く人々のこと。もっと素敵な日常のこと。
でも、それはまだ難しい。
だから、見知らぬ人に出会う。だから、未経験を「詰める」。
千羽はるがどこかに現れるのは結局、そういう理由なのだ。
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