この世界の隙間から【noハン会小冊子企画】
この作品は、noハン会の【noハン会小冊子企画】に参加した作品です。
本編の内容に大きな変更点はありません。
ただしヘッダーイラストのみ、今回、新しく作成致しました。
イラスト作家はnote初参加の「由井 みつき」と申します。
◆ ◆ ◆
「君に、これをあげよう」
ゆっくりとした穏やかな声が、頭の上から降ってきた。
幼い僕の腕に、ほのかに輝く銀の糸で編まれ、月色の石が飾られた腕飾りがぐるりと巻かれる。
お守りだよ、とあの人は言った。
「ねえ、どうしても行っちゃうの?」
「うん。せっかくここまで硬く引き締まった街なのに、私みたいにふわふわした者がいると緩んでしまうからね」
ふわりと、あの人の銀の髪が揺れる。
足元には「生活」と呼ぶには、あまりに小さすぎるボストンバックが一つだけ。
そう、この人はもう、ここには帰ってこなくなる。
普段は不思議にきらきらと輝いている瞳が、今はいつもよりちょっとだけ寂しげだ。
「じゃあ、最後の物語を話してあげよう。君との大事な約束だからね」
・ ・ ・
――君は、星の光から糸が生まれることを知っているだろうか。
鉱物たちが囁く、小さな歌声を知っているだろうか。
私はね、実は虹の麓にある泉から、インクを作ることを生業としているんだよ。
それしか能がないんだけどね。
けど、そうだな。やっぱりこれが、私の特技ということなんだろう。
「世界」とはね、そんな隙間が、実はたくさんある素敵な場所なんだ。
そういう世界の隙間に触れることのできる人間を、君たちは昔、魔法使いと呼んでいたよ―――。
・ ・ ・
魔法使いに会った僕は、あれから平凡な人生を送っている。
あの人と過ごした幼い日はもう夢物語のようで、あの人の顔もよくは思い出せない。
今の僕は、社会人だ。IT系の企業に通って三年がたつ。
あの日もらったお守りは、ずっとつけていたはずだったのに、いつの間にかなくなってしまった。
なくした当初は必死に探したけれど、今はどうしようもないとあきらめている。
――これが多分、大人になるってことなんだろう。
そう思うたびに呼吸が苦しいように感じるのは、きっと気のせいだ。
僕の幸せは、きっと普通の中にしか見つからない。
世界には、あの人の言ったような隙間なんてなかった。あんなに探したのに。
そう、思って。
そう、あきらめていたのに。
――うだるような猛暑の日。
新宿駅の中、若い女性がよく集まりそうなアクセサリーのワークショップが催されている。
いつも通りの光景に、いつもと違うものがある。
ちらりとそれを横目に見た瞬間、体に電流が走ったようだった。
懐かしい光。ほのかに輝く青い糸で編まれた、ラピスラズリのネックレス。
それはまさしく、あの人が僕にくれたお守りの輝きだ。
「……あの、これって……!?」
身を乗り出すようにして尋ねる男に少し驚くワークショップを営む女性を見て、僕は再び息をのむ。
きらきらとした不思議な瞳。それは、あの人にそっくりだ。
「ああ、それはですね。海に反射した朝日から採った糸で編んだものですよ。この青は朝の海でしか生まれません」
朝日から採る糸。ああ、なんて懐かしくてきれいな響きなんだろう。
僕は、胸の奥がぐらりと大きく揺れるのを感じていた。感じてしまった。
「………あの、それって、誰でもできることでしょうか」
きらり、と女性の目が面白そうに光る。
彼女は間髪入れずに頷いた。「わかりますよ」と、深く理解したとでもいうように。
「もちろんです。世界の隙間に手を触れることができるなら……あなたにもできます」
ここにはいないはずなのに、目の端で、あの人の銀の髪が揺れる。
あの人が、「やっと来たね」と、どこかで笑った気がした。
・ ・ ・
僕は、ずっと息苦しかった。
普通に過ごせて幸せだったはずなのに、どうしてなのか、ずっと疑問に思っていた。
けど、今ならわかる。
僕は、この世界の隙間に目張りをしてしまっていたのだ。
世界はこれで完全なんだと、この普通が幸せなんだと、思い込んで蓋をしていた。
けど、目張りを取り払った僕の世界は、鮮やかな色に満ちていた。
僕にはまだ、星の光から糸を手繰ることはできないけれど。
僕にはまだ、鉱物の囁き声を聞くことはできないけれど。
僕にはまだ、海に反射する朝日から糸を採ることはできないけれど。
僕は、「能無し」かもしれないけど。
それでも僕は今、物語を紡いでいる。
世界に七色の光が溢れるように、かつてあの人が作っていた虹のインクを片手に、僕は必死になって世界の隙間に触れようとしている。
・ ・ ・
月色をしたペンが、物語を紡ぐ。
あの人にもらったお守りは、今再び、僕の手の中にある。
愛用のペン先が月色の石でできていることに気が付いたのは、つい最近だ。
僕の生み出す世界はまだまだ小さいけれど、確実に色づいて小さな鼓動をたたいていた。
ある日、僕の作品のファンだという小さな子が、まっすぐな瞳でこう尋ねた。
「ねえ、あなたは魔法使いなの?」
一瞬、その子が幼い僕に見えたのは、きっと気のせいじゃないだろう。
僕は、ゆっくりとした穏やかな口調で返答していた。
まるで、いつかのあの人のように。
「そうだね。僕は、世界の隙間を見つけたから」
僕の指先は、今、世界の隙間に触れている。
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