見出し画像

という、僕の幸せ論。#幸せをテーマに書いてみよう

「幸せ」をテーマを書くにあたって、まず、自分は「驕らなければいけない」ことに気が付きました。

自分には仲の良い家族がいること、仕事を持ち、収入があること、人間関係が良好なこと。

「幸せ」を感じる瞬間が、日常の中にあること。

友人と喋る瞬間、紅茶を飲みながら本を読む瞬間、お酒を飲む瞬間。

美味しいものを食べる瞬間。音楽を聴く瞬間。

これを「幸せじゃない」と、僕は言えませんでした。

それだけは、言ってはいけないと今でも思います。

だから、僕は「幸せである」と言い聞かせながら、「幸せ」について書かなければいけません。

何度も、このテーマについて書き直しました。

そのたびに、「あ、自分はこう思っていたのか」と気づかされると同時に、目の前の文章に納得できず、全部、消しました。

何が、足りないのでしょう。

僕は、昔から考えていました。

今、「幸せ」です。でも、喉元に何かが引っ掛かったように、「僕は幸せです」と胸を張って言えるわけでもなかった。

「幸せ」であると断言できる状況のはずなのに、言い切れない。


考えました。とても考えました。何年も何年も、考え続けました。


そして、このテーマに出会って、やっと気づけました。


「幸せは少なくとも二種類あるのだ」ということに。


一つは、日常の中に見つけることのできる幸せ。

誰かと時間を共有したり、日々のかけがえのない出来事に満足感を覚えるという「小さな幸せ」を糧にしなければ、日常を生きてはいけません。

けど、それで「満足しなきゃいけない」と思う自分が、いたのです。

「僕は恵まれている。苦しいことも辛いこともあるけど、それでも衣食住に困ることなく、逃げ込める場所があることを幸せに思わなきゃいけない」


どうしてだよ


そう思うと、僕の中にいる、もう一人の僕が声を荒げました。

どうして、そんな風に思いこまなきゃいけないんだよ。たしかにそれは幸せだけど、何かが「欠けている」じゃないか

そんな声、無視しました。

無視したまま「小さな幸せを見つけることが、幸せである」という驕りの上に胡坐をかいて、長い間生きてきました。

でも、「幸せをテーマに書いてみよう」というテーマと向き合って、僕は大事なことを見落としていると、気づかされました。


この「小さな幸せ」は、まるで「葉っぱ」のようじゃないか。


小さな無数の葉っぱたち。

風に気持ちよさそうにそよぐ葉のような、小さなかけがえのない幸せたち。

なぜ「葉っぱ」かって?

葉っぱは、散るものだからです。

「小さな幸せ」は、散るものだからです。

「小さな幸せ」は決して繰り返されたりはしません。

葉が落ち、新芽が芽吹くように、「小さな幸せ」は一瞬やってきては「さよなら」と去っていくものなんです。僕にとっては。

無数の葉=「小さな幸せ」の奥に隠されたものを、僕は見つけました。

それは、探そうと思わなければ見つけられないものでした。

あまりにも、大きすぎて。あまりにも、当たり前すぎて。

だから、僕はそれを「大きな幸せ」と呼ぶことにします。


「大きな幸せ」=「生き方」


これを見つけることが、今までの自分には欠けていたのです。

では、たとえ話で、僕の「生き方」を紹介します。

僕にとって、「大きな幸せ」=「生き方」とは、「未知を知ること」です。

小説でも、エッセイでも、旅行でも、写真でも、研究でも、新しいものと出会えるのなら、何でもいい。

体験したことのないことを知る。出会ったことのない人と会う。やったことのないことをやる。知らないことを、知る。

未知を知る――そのために、生きる。それが僕の「生き方」です。

それを見つけた時、僕はやっと、「ああ、幸せだなぁ」としみじみ思いました。

だって、これがあれば、僕はたとえ恋人に振られても、誰かと死に別れても、逆境に立っても、どんな不幸があっても「自分の心だけは死ぬことはない」と確信できたからです。

死ぬときでさえ、僕は笑うことがでしょう。この「生き方」をするならば。

「小さな幸せ」は大事です。それがなければ、日々を味気なく生きていくだけになってしまいます。

けど、「大きな幸せ」も、結構大事です。

何があっても、どんな時でも、これだけは自分を裏切らないという柱のようなものなんですから。

「大きな幸せ」がしっかりしていれば、自分も、この生き筋に沿って生きる覚悟を持てる。

だから、小さなことでくよくよしてなんていられません。少しの間でさえ弱気になってなんていられません。

そんな暇は、少しもありません。

だって、「大きな幸せ」を噛み締めるためには、毎日心のどこかでそれを意識して生きなければならないのですから。

二つの「幸せ」、これを持っていれば、人間って無敵なんじゃないかな、と思うのです。

僕は今まで「自分は幸せだ」と驕っていました。それは自分に嘘をつくことでした。

だけど今は、胸を張って、ちゃんと確かなことが言えます。

これが、僕の「幸せ論」です。


・ ・ ・


この文章は、あきらとさん主催「#幸せをテーマに書いてみよう」企画参加作品です。

自分でも驚くような方向に転がっていったエッセイで、大変深く面白く考えながら書かせていただきました。

あきらとさん、貴重な機会をありがとうございます。


読んでいただきありがとうございます。 頂いたサポートは、より人に届く物語を書くための糧にさせていただきます(*´▽`*)