バッチ博士、136回目の誕生日に
9月24日は、フラワーエッセンス(フラワーレメディ)の生みの親である、エドワード・バッチ博士の誕生日です。
1886年9月24日に生まれたバッチ博士は、人が病気になることの真の原因と治癒について、生涯をかけた研究を行い、自然の中に分け入って38種のフラワーエッセンスを発見しました。
また、1936年9月24日には、フラワーエッセンスを広く普及させるべく、初めて一般の人々に向けた講演を行っています。
その2ヶ月後の11月27日に、バッチ博士は50歳の生涯を終えたのですが、彼が人生をかけて見出したフラワーエッセンスは現在、バッチ・フラワーエッセンス(フラワーレメディ)として知られ、植物療法として世界中の人々に役立てられています。
さらに、もうひとつ。
9月24日は、バッチ・フラワーエッセンスのメーカーである、英国ヒーリングハーブ社の設立記念日でもあるのです(1988年設立)。
私は最近、ヒーリングハーブ社のエッセンスプロデューサー、ジュリアン・バーナード氏の、この言葉をずっと噛み締めています。
バッチ博士亡き後、長年アシスタントを務めていたノラ・ウィークス女史が後継者となったわけですが、そのノラのアシスタントとして共に働き始めたのがニッキー・マレー女史でした。
1976年、『12ヒーラーズとその他のレメディー』を読み、さらなる学びを得ようとしたジュリアンは、バッチセンターを訪ねます。
そこで出迎えてくれたのは晩年のノラ・ウィークスでした。
その場でノラから紹介され、ジュリアンはニッキー・マレーと出逢うのです。
ニッキーからフラワーエッセンスの全てを学んだ後、ジュリアンはヒーリングハーブ社を設立するに至ったのでした。
エドワード・バッチ
↓
ノラ・ウィークス
↓
ニッキー・マレー
↓
ジュリアン・バーナード
ヒーリングハーブ社バッチ・フラワーエッセンスの系譜をたどると、このようになっています。
そして、私は考えるのです。
2005年の9月24日に、来日したジュリアンを講師にして行われたセミナーに参加して以来、これまで英国ヒーリングハーブ社を訪ねること3回、英国と日本で回線を繋いで行ったオンラインセミナー4回、合計8回もの機会を通して、ジュリアンから直接お話を伺う機会をいただいています。
もちろん、私がバッチ・フラワーエッセンスのプロデューサーを継承するわけではありませんが、脈々と受け継がれてきたバッチ博士の思いや理念、フラワーエッセンスや植物に対する情報は、明らかにジュリアン・バーナード氏からいただいたもの。
その点で考えれば、自分がバッチの第五世代にあたるということを、もっと自覚したほうがよいのではないか?と思えるのですね。
また、私が日本で初めてフラワーエッセンスに触れたきっかけには、ことほぎの香り・ホワード七歩子(上野七歩子)さんとの出逢いがありました。
新鮮な汲みたての湧水に花の情報を転写させる、フラワーエッセンスの製法になぞらえるならば、フラワーエッセンスについて何も知らないまっさらな私は、七歩子さんの言葉を通してフラワーエッセンスの世界に一気に引き込まれていったのです。
七歩子さんは、フラワーエッセンスに出合う前から音叉の先生(ことほぎの香り・渡辺久芳先生)に師事しており、渡辺先生から耳に聞こえない音として存在する波動やエネルギーの世界について学んでいました。
私も七歩子さんから紹介される形で、渡辺先生から多くのことを学び、もちろんですがそれ以上に七歩子さんからもたくさんの学びをいただいています。
バッチ博士の著作「Free Thyself」をタイトルにした七歩子さんの講座を開催しようと計画していましたが、あいにくその願いは叶わず。
開催中止を発表するにあたり、病床の七歩子さんがコメントを寄せてくださったのが、彼女の公に向けた最期のメッセージになりました。
バッチ博士〜ジュリアンの流れでやってきた、フラワーエッセンスの叡智。
渡辺先生〜七歩子さんの流れでやってきた、波動やエネルギーの世界。
この二つの融合に、ケルト思想も加わって、planet*plant独自の世界観ができています。
それだからこそ、先達からいただいた教えや学びを、次の世代へと橋渡しするよう、これからはよりいっそう真摯に取り組まなければならない……と、思えるようになりました。
もちろん、私ができることなんて微々たるもの。
けれど、私が大切にしている、彼らから学んだたくさんのギフトを後進に伝えることも、今後は重要なお役目になってくるのだろう、と考えています。