3億年の時を超えて
かつて「虹の集い」という有志の会がありました。
この会の名前は、アメリカ・インディアンに古くから伝わる言い伝えに由来していました。
地球が病んで
動物たちが 姿を
消しはじめるとき
まさにそのとき
みんなを救うために
虹の戦士たちが
あらわれる。
「虹の戦士とは、自分が好きになれるような世界を作るために、なにかを自発的に始める人たちだ。正義と、平和と、自由に目覚め、偉大なる精霊の存在を認める存在だ。日本列島は、母なる地球は、その人たちの到来を必要としている」
(『虹の戦士』北山耕平翻案・太田出版刊)
この「虹の集い」仲間と一緒に訪ねたことがきっかけでご縁をいただいたのが、「日本で最も美しい村」のひとつ、長野県・大鹿村。
ここは、日本列島を縦断する大断層・中央構造線の真上にある村であり、一歩、足を谷に向かって進めるだけで、何百年・何千年もの時を一気にまたぎながら、当時の地層に直接触れることができる、非常に特殊な場所なのです。
「地層研究のフィールドワーク」と称して、その後頻繁に通うことになるのですが、やっぱり最初に訪れたときのインパクトが強烈でした。
ガイドに導かれ、ふくらはぎまで水に浸かりながら川を幾度となく横断し、そうして降りていった先は、3億年前の地層が横たわる場所。
海底火山から噴き出した“地球の血液”マグマが、冷えて固まり地層となっていきます。
その地層が長い年月を経て移動して、ユーラシア大陸にぶつかった圧力で隆起、削られ、剥離してできた、このような緑色の岩がいたるところに転がっているのです。
真っ赤な血液・マグマも、冷えて固まると緑色になるのですね。
しかし、これも空気に触れるうちに酸化して赤茶色になっていくそうです。
何だか、人間の血液と一緒だなぁ……なんて思ったりしました。
また、地元の人が「神秘の森」と呼ぶ空間も、足を踏み入れた瞬間から、全身がそのエネルギーに歓喜するのがわかります。
樹々が、岩が、水が、生命力に満ち溢れているのが感じられるのです。
長い年月をかけて出来上がったこの空間が発する磁場に、ただただ圧倒されるばかりでした。
長野は「信州」とも言いますが、かつては「神州(神さまのおわす処)」と書いた……と聞いたことがあります。
精霊や神々の住まう場所。
こんな空間に身を置くと、なるほどその通り……と思えてしまいます。
太古の息づかいを感じ、地球のプリミティブなエネルギーに触れたのは、とてつもなく貴重な経験だったのですが、その3億年の世界から、現実世界にまで戻ってくるのには、なかなかそう簡単に「はい、ただいま〜」というわけにはいきません。
現代の文明社会にどっぷりと浸かっていると、時差ボケならぬ、時空間ボケとでもいうのでしょうか、そのギャップに身体が追いつかないことが多々あるのです。
初めて大鹿村を訪ねたときには、日常生活に戻るまでに多少の時間を要しましたが、今では割とスムーズに古代と現代を行き来できるようになったかな。
人間が営む、日々の時間。
自然に流れる、悠久の時間。
この二つの時間軸が持てるようになったことは、とても大きな財産でした。
大好きな星野道夫さんの著述に、このような一文があります。
日々の暮らしに追われている時、もうひとつの別の時間が流れている。
それを悠久の自然と言っても良いだろう。
そのことを知ることができたなら、いや想像でも心の片隅に意識することができたなら、それは生きてゆくうえでひとつの力になるような気がするのだ。
(『長い旅の途上』文春文庫)
私にとって大鹿村は、悠久の自然に身を置くことができる、大切な場所のひとつとなっているのです。