「愛するもの」の不在
「誰も分かってくれない」とか、
「あなたには分からない」と、
決めつけているのは、紛れもなく僕のエゴだ。
愛の流れの中で、イヤイヤと駄々をこねている幼いエゴ。
思い通りにいかないと拗ねている。
エゴって悪者扱いしてしまいがちだけど、
どうやら、本当は何かを守ろうとしている小ちゃな妖精みたいなもの。
言いたいことを上手に表現するチカラを持っていないもの。
それでも、一生懸命に大切なメッセージを送ってきている。
まっくろくろすけを想像してみる。
彼らは空き家に住み着いて、部屋の中にすすを残していくけど、
エゴは心の中のすすを舞い上げて、
本当はそこに存在するはずの主人の帰りを待っているのでは?
どんなに子供っぽい態度だったとしても、
それを「うんうん、、、そうか、そうだったんだね。」
いいとか悪いとか関係なく、ありのままを受け入れてほしいのでは?
すすを舞い上げて、気づいてほしいと無我夢中になっている。
このスペースに足りないものを。
☆
「愛されたい」という悲痛なほどの欲求は、
「愛するもの」を不在にしているから生まれてくる。
自分の外に置いていた「愛の存在」を内側に迎え入れよう。
幼い頃の記憶欠片が、愛を外に求めようとしてしまうけれど、
僕の中に愛がいれば、どこを見渡しても世界は愛。
目の前に広がる世界こそが、僕らがもっとも愛する宇宙。
生命であることを感じよう。
陰と陽の回転を。
心の中心に、愛の存在を。
世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。
ひたすら進め。
ニーチェ