感じとったことを昇華する
思い出すのも嫌なこと。
それが障害となって変容を阻む。
二度と思い出したくないと、頑なに拒んでいることは、
まだ身体の中に痛みとして残っていて、
触られるのさえ嫌がっている感情。
「放っておいて!」
心の揺れが穏やかになるには、時間も必要。
向き合うには、痛みを受け入れる勇気も必要。
だから、焦らないこと。
内なる世界の空間を、外の世界の時間で判断しないこと。
だけど、いつまでも感じた気持ちを外に吐き出さず、
放ったらかしにしたり、理性で片付けようとすることは、
自らの女性性エネルギーを男性性のチカラで抑圧していることと同じ。
痛みは、時と共に負荷となり人生を歪めていく。
まっすぐ歩いていくためなら、さらなる無理を身体に押し付ける。
自分が嫌がることをしてはいけないよ。
「今の自分に必要ないものを手放す」
この言葉は勘違いしやすい。
分かったような氣になって、プロセスを排除してはいけない。
痛みがあった体験を切り離したり、
嫌な感情を持ったことを忘れてしまうことじゃない。
その時の生命感覚と一体となり、
ぐちゃぐちゃにかき乱された感情の海から、
本音が出てくるまで内側をひっくり返すこと。
身体からチカラが抜けていくまで、
自分勝手な思いも、醜悪な姿もすべて出し切ること。
「そんなことしたら、みっともない」
理性で封印している本能の叫び声を解放していくこと。
動物たちの神聖さには、自我がない。
純粋な気持ちを、声や言葉にして出すチカラは、
生まれてから幼少期までの育った環境に大きく影響を受けている。
泣きおさまるまで、泣ききったか?
理解できない怒りを発散できたか?
表現しにくい気持ちを補うように、
感情に寄り添ってくれる人がいたか?
自分の些細な感情をストレートに出しきれていないから、
絡まった糸のように、本当に伝えたい真意を抜き出せない。
小さな違和感を溜め込んで、世界と関わっているから、
真実は歪み、周囲の人の感情表現が醜い姿として現れてくる。
言葉を持たない小さな動物のそばに寄り添うように、
感情の糸を1本ずつ引き出すような言葉を投げかけていく。
悲しいの? どこか痛むの?
寂しかったね。
分かってあげられなくてごめんね。
身体の内側でくすぶっている感情と一体となり、
ぴったりくる言葉を探して当てはめてみる。
感じとったことを昇華すること。
優れた言葉は、感情を外へ導く救世主となる。
本当に言いたいことは、とてもシンプル。