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Rather than live or die, even if you don't live, you won't die  生きること

ふと思ったことがあります。
それは、 #生きる の 対語は 決して 死ぬではないという思い
それでは、生きるの 対語は何なのか それこそが 死ぬではなく
そう、 #生きない  ということに他ならないとおもったのです
そして、生きないという行為は、極めて能動的な行為であり、
死ぬという事が、極端に言えば 受動的行為と能動的な行為、
それら双方の両立の上に成り立っていることから考えれば 、生きないという行為こそが、選択権のある積極的な行動に見えてならないと、思うのです。

では、次に生きないとは具体的にどういうことかを書いてみます。
生きないとは、死ぬことととは、まるで同意語ではありません。
死ぬという行為は、生きていたら出来ない行為である反面で、生きないという行為は、決して死ななくても出来る行為だということです。
生きない
生きていない人には、傍目にも死んでいる場合と、明らかに生きている様に見えて実は生きてないという人の存在です。
生きてない人というのは、生きるという行為が機能不全に陥っていることを指します。
機能不全をおこしているのは、肉体的な機能である場合もあれば、精神的なものであったりもしますし、さらに肉体も精神も正常に機能しているはずなのに、受けられる生きる実感が極めて貧しいケースすらあります。
生きているのに死んでいるという人は、実は本人にその自覚の有る無しにかかわらず、かなりの数の人がそうである可能性は決して否定できないと、私個人は感じています。

結論は、無理して生きる実感を得ようと努力するよりも
仮に、今が生きていない状況だったとしても、そこから得られるものはあると感じるのです。無理して生きる必要な無い、死なないけれど、生きていないかもしれないけれど、そんな生き方が、一日、一日であっても良いんだと。私は、そう思えています。

結局 そうすることでのみ 得られる 生きることへの執着もある

年末に感じたことでした

みなさんは いかがですか・・・


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