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掌編 という言葉に心が動いた
#掌編小説 それは、短編小説よりも短い小説 ワードで しょうへん と打てば、すぐに #変換候補 に上がってくるのだから、ある程度メジャーなワードなんだろう? そう、僕が知らないだけなのだろうか。
掌 てのひら を 編む あむ
言葉が空間に漂い、その言葉のかけらを、掌に集めて編む事によって、些細な言葉をつなぎ合わせ、そこにある意味が授けられるかたち。
ててもいい、とても僕の希望通りだと思った。
掌編 あえて小説という単語は除きたいと思う
僕は俳句が好きだ けれど、これに理屈と技法を語られるとたちまち嫌いになる
書き出しが好きだ 書き出しには 妥協なき芸術がある
最も、芸術的だと僕が思うのは、以下のものたち
★祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり
★吾輩は猫である名前はまだ無い
★くにざかいの長いトンネルを抜けると雪国であった
このどれもが、この後を読まないで良いくらいの芸術だ
海外にだってある
★彼は年を取っていた、メキシコ湾流に小舟を浮かべ漁を生業にしてたが、既に84日も獲物が無い日が続いていた
直訳するとこんなかんじだけれど、これ、彼は年をとっていた で充分なのだと思うが、ここではここまで書いた。
さらに、書き出しではない、自由句という文類で、国内で言えば、こんなものもある
★咳をしても一人
尾崎放哉の代表句の一つだけれど、もう何も必要としないほどの強さがある
これらには、心から芸術を感じるのだけれど、僕自身は、芸術という安易な言葉が嫌いだ。でも、悔しい ことに、この感動を一言で表せる、表現語で最良なのが、 #芸術 という言葉しか見当たらなかった。
同じ感動で言えば
絵画なら ピカソ ゲルニカ がこれに同様だ
音楽であれば、 #ワルキューレの騎行
歌舞伎であれば #俊寛 のラスト 決して勧進帳の飛び六方ではない
近いうち 自分なりの 掌編が書きたい
おこがましいが。
僕が掌編というワードを知ったのは、この人のツイートだった