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サラーマン 30年以上やりましたが 日本のここが限界だと 思ったところ

日本だけでビジネスをしていると気づかない。というか、それが当たり前だと思っていることの勘違い。これが、日本の成長を止めたのかもしれない。財閥絶対の時代なら、それも通用したのかもしれないけれど、今は・・・

ビジネスシーンでは、私たちの世界でも横文字が多く、クライアント、アカウンティング、コントラクト、など、一見は #欧米化 なのですが、長いこと、クライアントは絶対の存在で、クライアントの望みは最大限実現する努力を惜しみません。これはいい、けれど、その姿勢は、とんでもない非合理を生むのです。クライアントの言うことは絶対だ、だから、彼らの言うことに逆らわない。この悲劇が分かりますか? 彼らが間違っていると、こちらが気付いても、それを言えない。なぜ言えないか? そこには、初めから両者間に対等は存在しないのです。お客様と業者なのです。これは、なにも、大企業だけではありません、小さな飲食店でも、町の八百屋でも同じです。 お客に言いたいことを言う店主の方が、 #頑固オヤジ とか #物言う店主 とか珍しがられるのです。対等でないから、なにも言えないのです。これは、まさに士農工商、封建国家から来ているのかもしれません。間違った経営方針を採る企業から、仕事を受注しても、言われたことはやるけれど、先様の問題点は指摘しない、何ら問題がないように接しています。これは、両者にとって悲劇ですが、悲劇ではなく仕方のない常識です。かりに、御社のやり方は間違っています。などと、言えば、それが災いして取引を止められるなんてことも平気で起こるのです。
一方で、海外の相手とビジネスをすると、この日本のビジネスの関係が違和感に満ちたものだと思い知らされるか、もしくは、海外の企業は、なんて礼儀礼節を無視するのかと、怒りを感じるかもしれません。
少なくとも、日本以外には、対等な立場で、ビジネスができる素地がありました。意見はきちんと伝えられ、お互いに議論ができ、目的と手段が明確に共有されるので、メンツや、立場よりも、このビジスの目的を考えることができます。
これは、欧米だからではありません、アジア圏でも同様に、払う方がもらう方より、上に立つなどと言う、意味不明の理論は日本ほど根強く蔓延ってはいません。
だからかもしれません、日本はODA や 円借款で上下関係を構築できると考えているようですが、実は、たとえこれを多額に拠出したところで、事実はあるけれど、それでも取り決めは対等、目的に向けての努力も対等なわけです。
もう、日本式は限界なんです。
そう思います

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