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決めて、決めつけない
世の中に情報がありふれるという事は、人はますます”利口”になる訳だね。
アタマが柔軟なうちは、利口になんてなる必要が全くない。あまりにも利口・優等生すぎる。
使えるエネルギーがたくさんあるうちに、アタマで終わらせずに、実行力に使えたらいいね。
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書こう書こうと思って書いていないのは「感覚」のこと。
1つの例。
先日私は「湿度が嫌い」と書いた。高湿度はイヤで仕方ない。
ホントかね?
今のエアコンは色々を調整してくれるから「心地よさはバランス」で成立させる。
室温:20数度
湿度:68%
「うわ~、湿度高い‼( ゚Д゚)」
と反応した私は、それを知る以前の状態に、”不快”を全く感じていなかった事が何度か。
「”高湿度”がイヤな訳じゃないじゃん…いい加減だな(笑)」
と思った経験がある。
私は自分の「感覚」というものをかなり信頼しているけども、詳細には”条件”によって変わるのも、それだという事。
大きな捉え方ではあるので、それを修正する為に「知識」というものを使う。それが学習されて記憶される。
自分の感覚にダマされてしまうのも、信じすぎなくて(決定させなくて)いい、という事だ。
”違う前提”をぶつけてみる。
「自分を否定してみる」と同じね。
”今の自分”を崩しに行く問いだから。
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執着している時にできる事は、「その状態」を認める事、だけ。
「執着している時が辛い」という事に気づけたら、認めるだけ。
そこへ行くまでがやっぱり大変だから執着になっている訳だし、その状態に気づかずにやり続けている訳だけども。
認めた後に来るのは、いつの間にか全く視界から消えていたという状態。
離すではなく許すこと。
自分に対して許すこと。
(状態の許可)
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「想い」はカタチになる、というのはその通りと当たり前に思っている。
”カタチにする”という事を、「自分がやりたいかどうか」だけ。
最近は”こういう事だろう”と、自分の中で確かなモノとして「ある」ものがカタチになっている…あちこちで。
誰かが「本」と言うカタチでアカシてくれたり、最新の○○の内容に収まっていると勿論、嬉しくなる。「そうだよね」と納得するから。
研究・実験・まとめる事ーーー。
得意な人がやればいい。
私はそれらをしたいのではなく、色んな”人”というもののハタラキを知りたい。
だから”私”を追究している。
『想い』がカタチになる…
これを大きく言い換えると、「私がやり易く、世界が動いている」と表現する事が出来る。
凄く大きな言い方だけど、自分の世界と世の中が重なってくるという事は、そうとも言える、という意味。そして、そうでなくても自分の軸があるから、別にカマヘンヨ~(*^^*)
と同時に。
私は”人と違う”という事からひとつ、またひとつ卒業(失う)していく。
両方同時なの。
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ネガフィルムという言葉の意味を知った時、私は結構、感動した。
今は殆ど目にする事のないネガフィルム。現像することで、反転して現れる画像。
この短文に、たくさんの”映像”が何度もイメージされる…。
裏や暗いものというのは「陰」で、人にとってはどこか良くないイメージを持っている。そうである事が悪、何かとても悪いみたいな。
私は未だに、「人間」にどっぷりすると、えらく酷い人間という事が自覚できます。日記には軽く2ページにまとまっている。
暗い感じのネガティヴじゃなくて、積極的ネガティヴ。「積極的ならもうそれはポジティヴだろ?」とツッコミを入れたくなる明らか。
言葉とイメージにとらわれ過ぎないこと。
人は本当にそれぞれに全く違う世界を見ているから。
同じと捉える事の方が私たちの思い上がりなのかもしれない。
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