ワンたちに学ぶ
《私は我が家のワン達、現在4ピキの犬たちに、大変なご指導を頂いている》
”順”の力ってアタマでは”普通”という解釈ができるのに、その「順」の力を進めて行くことって、とっても力の必要なことなんだよね?
なんでだろうか…。
全ては「やる」為の行動、生きる為の。
(5/27メモより)
5/26メモ
「止める」という行い。
(反対側の)それを止めたい時、(自分側の)生かしたい事その為に出る動作。
それだけ純粋に「生かす方」に力を注ぐことが難しいのはなぜかな?
力の消費(消耗)と解消されるスピードが”止めた”方が少なくて、早いからだよね。
人って省エネ。
”現状維持”のままで、何かを得ようとする。そう感じた。
色んなシーンで出くわすこと。「ライト食事中、ニコルの妨害で」。
・・・
これは、実際にちょっと考えただけでも”難しいな~”と、感じた事で。上記の通り、食べるのが遅い&食が細いライトの食事中に、食べ物が絡んだ時だけは、異常なほどに動きを変えて、ライトの周りを目まぐるしく動き回り、ライトの足元にこぼれたフードはすかさず食べる、という行動をとるニコルの動きを観てのメモだった。
荒い息づかいと、そのグルグルしている様子が私は嫌いで、その”パターン”に入ったニコルの進行を手で遮る。
その時の事なんだけど。
私の意思は、「”ライトにご飯を食べさせたい”、という事なのに、”ニコル”を止めている」こと。その時すぐに浮かんだ事はポツポツあったのだけども、その私の”させたい”と思う事をライトが食べるように純粋に導くこと自体がまず難しい※1と思っている。
そして違うカタチで”やる”とすれば、ニコルのそれを”止める”でなく、その動きのパターンから「離してあげる」方へ考える事はできる訳だけど、時間のかかるライトの食事中に、ニコルへその行いを続けることの自信もなく※2
だから一番手っ取り早い、”ニコルのその動作の阻止”という形をとっている訳なんだけども。掘って行けばニコルがその様に反応しない様に”訓練すればいい”という事にもなるのだけども、私はどこか、「犬を(動物を)飼うって自分のコントロール下に置く事なのか?」という事とのアイダに挟まってしまう。
だから、この様な経過があって、そして結果的にそのままにして、それの”結果”だけに対して、一番楽な手段で対処しているという”私都合”の話。
少しバラシて書いていくと、※1の時点で、「食べさせたい・食べさせよう」というのは、「この時だけに留まらず、”常に”」私はワン達にその様にしている傾向がある事は観えている。
私がいくら「良かれ」と思って行う事だとしても、それは最終的には相手次第のことであって、私はそこに強く食い込む事なく”適度な所で”手を離さなければならない。
※2は、我が家のワン達の中で、一番利口だと感じるニコルは、1歳近くで我が家に来て、トイレトレーニング程度の躾しか入れていない。もうこれは個体差としか言えず、皆が吠えても吠える事はなく、皆と違う動作をとり、それによって得られることがある事も自らの学習によって体得し、賢いと感じられる子。
そのニコルが唯一、”食べる”という事が絡んだ時だけは、脳内がグルグルしてしまうようで、その動きはもう止まらず。昔はそうでなかったので、何かきっかけがあったのか、パターンを強調させるような事をしてしまったのかもしれない、と思うも…。
”ソレ”しか困った状態にならないならば、それをどうこうしなくても別に良いんじゃないか、と私は思うわけで。だからほぼ”放置”している訳なんだけども。
彼にとって、とにかく食べるという事を上回る様な”報酬”を、他で考える事が難しいと私は感じ、躾という事もここまで書いておきながら真剣に考える事もなく(笑)
トータルの結果として、上記にズラズラ書いた事に対しての”自分のカベ”をパーーンと壊してしまえばいいんじゃね?という、分解した自分に少し傾いてくれる訳です、はい。
この、上記に書いたことは、「相手が犬」という、とても分かりやすい状況で、ただ”100%の態度だけ”で全てを顕してくれているわけなので、私側の色々な結びつきがびっしりとスクラムを組めば組むほど、頑丈な「壁」になっている事に気づく訳なんですね。
そしてここでもまた、”ここまで書いておきながら”、結果としてその様にできるかどうか(”パーーンと”達成できるかどうか)という事へ強く執着することなく、ただ自分に「そういう状態がある」と観るだけでいい、というへなちょこスタンスな訳なんですね、はい。
昔から何度も書いてきているのだけども。
相手(自分以外の意味)がこちらの言動によって何か変わることなく「ただ、そうある事」というのは、私にとって非常に大きな存在として位置付けている。
仮に、どれだけ私が手助けして欲しいとか、困っているとかいう状況があったとしても、それは相手が自主的なそれで行いを変えること以外は、私は嬉しくないから。
過去に何度かそう思う体験をしていて、私はそこから「私側」を強烈に向かされるようになったのかもしれないし、全くそうでないかもしれないし。”カベ”にならない状態って、ただ自分が、「何かに決めてしまうこと」という選択しか残っていないと思っている。
・・・
どうにかこうにか可能な限りシンプルに”食べるように”やって来たけど、少しずつ残すようになり、昨朝は丸ごと拒否したピース。
この子の”意地”は大したもんで、こういう事も初めてじゃない。
数日は彼との根競べとして私も引かない姿勢をしっかり取るけども、その”闘い”というのは、相手の本気度を観るものだと私は感じている。
空腹になって胃液を吐いていても、「どうしたってイヤだ」という事なら、彼は本当にイヤなんだろうと。私が今度はそこから考える段階に入って行く。(以前のスタイルで個別にしようと考えている)
彼らはいつも何も言わない。
ただ、行動だけで私に教えてくれている。
そこに「感謝」しかないでしょうよ(*^^*)
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この、「パーーンと壊してしまえばいい」とか、「”そういう状態がある”と観るだけでいい」とか。
これは一見この内容の「答え・結論」的な帰結として見えるのだけども、そこではないよ。
現状という現象から蛇行し、身体を上へ揺さぶりながら上がっているモノあり。
それこそが、その流れ・状態が、目指したいコトであって、ここではそんな事を一切書いていない。
本来はそういう事と私は思っている。
何か表側に言葉を出さない事には、その背後の流れを観る(読み取る)事はできない。
言葉が真であることもあるけども、本質的な事はいつもその言葉の背後を流れている。
いつもそこにある。
決して隠れてなんかいない。
(ズラズラ書いた部分は、具体的な行為として間違ってはいない。その”次元”では”その対処”はきちんと考えるもの)
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!