龍の舞
『あー、思い出した…』
これは昨日のワン散歩中、空を見上げていて思い出したその日の夢の話。朝の時点で全く思い出せなかったことが”現実”からズルズルと引き出され、観方を変えると、「現実化させた」もの。
深い意味は持っていなくて、書きながら脳内(意識の動き)がイメージされるものだった。
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曇天。今日の空は白。所々にやっとうっすらブルーの”空”がある。今にも暈(ハロ)が出そうなぼやけた明かり。
雲の端は一見、鳳凰。ずーっと、ずーっと大きく見ているとゲシュタルト、ルビンの壺。大きな龍が横になってるんだ…、細いのも、大きく畝っているのも、シュルシュルっとしてるもの、あちこちよく動いてる、ん、だ・・?
(あ、そうか。そう言えば夢見たんだ。もの凄い大きな龍の…)
夢を見た事をここで思い出す。
横たわっていた。そして顔の部分が動いているのが見えて、こちらを振り向くように見て…。
「あ、作り物なんだ」
そう誰かに言った時に、映像にはないけど、人が動かしている”雰囲気”だけを感じていた。龍は山というのか、土手のような所に横たわっていた。顔の違う別モノの存在ももう一体、雰囲気だけで登場していた。
そんな事を思い出すと、その夢の前は「音」の中にいた事を思い出した。とても臨場感のある、覚醒時の聞こえ方ではない音の入り方、その”中”にいる。
始めは”いつもと聞こえ方が違うなぁ…と、寝入り端ののような、捉え方をしている(みたい)。その音が大分、賑やかに感じたりしていく。イヤな感じはなく、ただとにかく聞きなれないので、詳細の感想もない短時間の出来事。
憶えているのは、やっぱり「右側の方」で感じている。右耳なのか、脳内の右なのかは分からない。
そんな事までを思い出した。
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【龍踊り】
上記の雰囲気から検索して動画やいくつか記事を見てみた。しなやかな動きは身震いすらする。縦横に振られる玉を追い求め龍が乱舞、太陽や月を表す玉を飲み込む事により、青空は一転かき曇り、雨を降らせる…、と。
孔子廟。
ここでまた「コウシ」は引き続いてる、と解かるし(格子柄→甲子の日→孔子廟)、私が一昨日触った石はシトリン、「太陽の象徴」。このブレスレットは6年前?位に買ったもので、たまにしか着ける事もなかった物。
そしてこれは、ガラスの龍の置物の角に普段掛けているもの。
自分が向けた”意識が”、どの様に還ってくるのかをずっと観ている。カタマリでなく、バラバラ(分割?)で来るもの(顕れる)もある事を最近感じている。
「何かに結びついて欲しい」という視点は一切なく、通常の人の意識の「ただ、こう思った」「自然とそうした」という日常の流れの一コマ。その中から”顕れた”と感じた事象を見て逆に、自分の言動を見つけ、その時どんな感じだったのか、という”逆の流れ”を観ている。
よく言う”修行”なんていう事をしている訳じゃなく、そんな事を言ったら怒られるだろう(笑)というレベルのもの、私にとっては探究の一部。思ってもいない事、表だけの願いの類は顕れる力がない事も感覚的には理解しているので、自分に嘘はつかない、これが強い。
そんな事を考えるとやっぱり、周囲が何と言おうと、自分の中との関係を良好にする事が先決となる。対外的なことを考えるのはそれからだし、それは心配しなくてもそういう流れにきちんとなるからまずちゃんと、自身に対して真剣になる事だろうと、私は思っている。
全て”同時に発生している”ものの、どんな面を観るのかというアクなき探究。偏らなければ両方がみえる。
(表から見える事で(他を)判断するのが人。表のソレが同じに見えるのは自分の尺度がソレだから。メモがあるから今度触れます)
【答えのあるものを求めるよりも、答えのないものを追い求める喜び】
それらはみんな、自分で自分の中から読み取っていくモノコト。たまたま誰かの何かのソレと同じになるだけの、概念、価値観。
同じである事が”正しい”という尺度は一度疑って見ると、違うものが見えるのかもしれない。人生て、”ずっと立ち止まっていられる程ヒマじゃない”、という事も視えてくる。
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ルビンの壺。
どちらを対象に決めるのかは自分だね。
逆からなら、何を感じるのかな。