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作り手の考え…?

昨日は予定通り映画の視聴、「コクソン」。

ストーリーの”正解”・”本筋”がハッキリ解らないと、しっくりこないらしい主人は視聴中に何度も「意味が解らない」を繰り返した。

面白くてぶっ通しで視終えたその後も、「考察が見たい」としばらく言っていた。

「ハッキリ解んないとなんか…」と気になって仕方ない主人に、「へ~、へ~…」と(おもしろい)と思いながら聞いていた私。

「分かんなくて良かったね(*^^*) いつも使わない所がグルグル動いたんじゃない?」

と言うと、

「ハッキリしないとモヤモヤする。だから俺は答えのある数学が好きなんだから…」

(あ、なるほど…)

「あー、そうか。”答え”ね。私なんか『答えなんてないもの』と思う事が多いから…(*‘∀‘)」

相変わらずハッキリ分かれる2人のスタンス。でも「答え」を求める主人の言ってる事が、「もし自分がそうだったら…」と考えると、”気持ち悪い事だろうなぁ…”と想像はできた。


その後、ある一つの考察動画を私は視て。主人は気になる!と言ってる割にはいびきをかいて夕寝に入り(笑)起きてからまた「どうだった?」みたいな話に。

「あれこれ考えても、”これ!とする正解があるものではない”、的な感じだったよ…」

創り手の思うストーリー(=考え)があったはず、と主人はそれを探しているようで…。主人の思いは中々消えない。

「自分がモヤッとする、というのもあるんだけど、負けた気がしちゃうんだよ。”完璧主義”っていうやつだよね。」

「なるほど、負けた気がするんだ…(やっぱり面白い捉え方)執着って言えばそうだけど、拘るから追究できるという面もあるし良いも悪いも…ね」


映画を視ながら様々な展開・推測をした結果、何も手応えがない。「収穫なし」という事に、手に入れた感を感じられずに「未消化」というモヤモヤを残すようだった。

結果が大事か、プロセスが大事か。

そんな事を思い出したりしていた。

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(メモより)

ちゃんとね。

ちゃんと必要な思考はさせられるから。

ポカンとしていられる時は、それをしていても無問題、

なのかもしれないね。

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(メモより)

それが現実、それが人生、と言っているもの。”点”は無数にたくさんある。もっと言うと点しかない。

その点をどの方向に、どの様に繋げていくか、どう繋げたかによって、現実を作り上げている。と、人は分かっているはずだ。

私は他愛ない事を書いていて良く思うもの、

「こっちへ繋げて考えたいんだな・・・」と。

そこに自分の希望があり、漠然とでも、そこに自分の期待がある、という事。そうであって欲しいと期待する事は同時に「そうでないかもしれない」という、半分の落胆も抱える事とセット。

丸ごと抱える、落胆を避けるも、自分が自分にとってのメリットを分かっての天秤の結果の選択。


過去から無数の点があり。その繋がりがカタチになって、意味を成していく。

星が出来るように。魂が生まれ出る時のように。

周辺のチリクズをグワーッと巻き込みそれも一部になる様に。


「今」という現時点において、それの繋ぎ直しをすれば「過去は変えられる」となり、そのままなら勿論「過去は変えられない」となる。

繋げない、というこの儚さもまたいい。

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人ってさ、ホントに凄いんだよ。

自分の為に生きているし、自分が一番かわいくて当然なんだけど。

結構、意外と、自分以外に力(エネルギー)を使っている。

自分を労わる、大切にする、という事を知っている人ほど、意外にも外へ力を使っている。

だから、自他という区別は”認識”だけ、なのかもしれないね。

自分で知っていても、おもむろにその素晴らしさを褒められないあなたへ。


【いつもありがとうございます。根を生やす時、たくさんの摩擦と苦しさに出会ったりします。根をしっかり張るから地上が楽しみになります。

これからどんどん羽ばたいていける。未来が随分と楽しみね(*^^*)】

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☆うみのみか☆
応援チップありがとうございます。自然と学べる記事の提供で倍返しいたします!コメント頂ければ内容を盛り込んで記事として出力いたします。 共に学んで参りましょ~(*^^*)