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今日は別の区間――

もう1つ「区間」で綴ろうかな…

昨日のnoteでは、区間という表現の”その内容の一つ”として書いたのだけど。以前に書いたことですぐに思いつく他のものがあったから「一つ」としたのだけども。

今日は”他”の方を。

基本は必ず自分という「個」の存在であって良いし、そうでなければいけないと思う。それを「外の世界」で、全体として動く時にはその「個」の出し加減は必要な場面が出てくるけども。


自分の精一杯を、目一杯まで広げる習慣は、とても大切だと思っていて、それは必ずいつも完璧にできなければならない訳じゃなく、”現段階での”自分を把握する(認める)という意味で、だからそこから先を”他者”の動きを求めることができるのだと思っている。

自分が何かに詳しかったり、人よりも出来たりというものがあって良いわけで、それに自らが気づいていないケースもかなり(いや殆どそうであるだろうけども)、その個を活かしても広い世界においては他者の方が良く知っているという事も、「同じく」把握する(認める)ことによって、正しく頼ることができるのだと思っている。

自分の方ができる・知っていると思うならば、それを目一杯やれば良いだけだし、それでは進まない時に世界には沢山の”他者”がいるわけで、そこに手を伸ばしてみるという事は正しい選択だと思う。


そのリレー、流れが当然のものと思っていると、「自分」から離れる(外れる)ことは自然のままに可能であるし、ことを得たい遂げたい時に必ず必要になってくる所だと思っている。

この自然な”流れ”からもう少し、もっと緩い日常的な考え方で同じことを書いていくと…。

自分の出来る(得意な)範囲はどの辺りか、という事を知っている事で、自ずとその周辺の、”自分の外へ”と繋がっていくそれを視野に置くようになるわけで、把握は「自分のことだけを知っていれば良い」では済まない事が分かってくる。


これはあえて書くとしっかりしたものの様に感じるけども、ただの”言語化”であって、人は無意識にそういう事をしているもの。だけどこれがとても重要な時に限ってその”外”、連携していくところが見えなかったりするものだからチト困る。

自分という「自分専門」にハマっていればハマっている程、本来はその外側が全方位的に必要になるものなのだけど、おもしろい事に強くハマっているが故に、余計に外がまったく分からないという事が発生する。

このスキマを埋められるモノ「存在」があると、もしかしたら直接の接続よりもスムーズかもしれない―――


【連携】
これがいかに難しいことなのか、と思った。
皆がその部門の専門家なんだけど、それでも十分なんだけど。
その周辺、せめて関連、関係する所との動きの連なりくらいは
「分かってないとダメ」と思った。
範囲が狭い。
その事自体が問題じゃないのだけど、関連として観た時に、
”無関係”と言うわけにはいかない。


書いていてメモがあった事を思い出し、挟んだのだけど、これは病院のある場面を見た時に思ったことを後にメモしていて、見ている側はそれを「全体」として、その場所のことを”観ている”わけなので、その接続の悪さ、同時に難しさは、(状態としては)あまりよろしくはないだろうな、と感じていた。

それは今、あちこちで人手不足という事が確認できる状態の中での結果のこともあるだろうけど、それとは別に、この”専門の内側だけでよい”という完全な無意識もそこにあると思う。

そしてその結果、外部からみれば同じ所で働く「スタッフ」という存在たちが、「現場のことを解ってないから」と他部署を批難する状態になってしまう。確かに”現状”は待たせることができないので、それが優先になっていく。


そしてそれにより、「全体の流れ、ルールや仕組みはこうなっています」という現状から距離のある場から見ているそれは、決してウソではないけども、現場・現状とは確かな開きがあったりもした。

どっちもどっちとも感じる所があるだろうと思う部分もある。現場は最新の状況を、全体の流れから患者(やその家族)に伝えるスタッフに”伝えておけば良い”ものが、それこそ伝達が漏れてしまうのか理由は分からないけども、その双方の空間のスピードの差が、はっきりと見えてくる。

場所を変えてもしばし耳にする話。

「聞いていた事と実際が違う」というのは、悪質な場合は論外だけども、現場と周辺との連携や伝達が途絶えてしまっている、ということ。

自分の受け持ち区間の徹底は最低限の当然として、それと関係する場との連携・接続というのは、時と場合によっては緩衝が入った方がスムーズになるのだろうな、とスピードの違う空間のそれぞれを観ていて、ちょっと思っていた。


(大きな問題となる事があったという意味はなく、あくまでも”連携”の話としてのエピソード。状況から”こういう事になって行った”と言う現場の方向と、”この様になっています”という決定事項をただ伝える側と。この”決め方”の方向自体も違うのだから、それぞれの優先が変わるのも自然なことと理解はする。

全体の中の詳細が見えるところに行くと、やはり結局、”個(部門・部署)”の目線が主となり、個の立場のまま全体から観るという事はなかなか難しい現実があるのだと思っていた)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!