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色々な世界を。

(これはlineメモ3/31から)

矛盾するような言い方になるんだけども。

100%現実世界に生きている人っていないんだよね、多分。

ここに生きている、って思っているけど、かなり意識の世界に生きている。言い換えて、”現実世界”でない。

だから、「人生が動く」と表現する時、かなりの動かされ感を感じるし、その”実感”だけで100%だと疲れを感じる。


殆どの割合は、”精神”というまだ現実まで飛び出ない「中の」世界だ、という事に気づく。

だからいつも動き回っていられる人を、パワフルとかアグレッシブと表現するし、そのように感じる。裏を返すとそれらの行いは、体力という体の力も必要な事だから。

逆に、そうでない時、身体は使いこなしていなくて”温存”している、という訳だ。


そう考えると、「火事場のーー」は、体側が本気出して動いている時、と表現できる、と思った。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

やっぱり時に逆な発想になる。意識が凄いんじゃなくて、体が凄いなって。

ただ…持続できない。

それだけ力を使うし、使えるから壊れてしまう。


そしてね。

この殆ど精神の世界、殆ど妄想に生きていたと知ると…。記憶という過去の実体験から時を経て、脳内の記録という妄想に置き換えて…。更にその組み合わせ、繋ぎ合わせでゴッチャゴチャで。

その脳内にある事を一つ一つ現わしていく、という事が「現実化」、この世界で『表現※』させられる事。


今迄、現実世界に精神世界を引き込んでいる、と考えていたけども、今日の視え方は精神世界に生きていて、それらを色んなカタチで現し続けるものが「現実」という世界なんだ、と思えた。

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※表現。

これは通常の音程じゃない。

”ヒョーゲン”というフラット。


言霊とか、言葉の力という事の威力みたいな効果などを明らかにする事は出来ないけども、私の感覚的には、”あるだろうな”と感じている。

それは、理解という入力じゃなくて、音から自然と浸透するように、すり抜け届くかのような感覚。

その「音」の掴み方で、アタマの中の世界、捉える場所が変わってくるので、その後の咀嚼・解釈が変わってくる、というもの。


「ヒョーゲン」。

フラットな意味がある。

あらわす×あらわす。

あらわす事、あらわれる事を、まざまざと意識させられるような気持になる、という強さがある。


〈これ、大切よ〉

音に注目する時、顕在側は反応が弱いはず。思考にフォーカスする事なく、弾かれる事なく、自然とすり抜けてくる。

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”分かる”という事はとても重要な事で。

自分側に上げた→”分かった”状態にした、という事で、この顕在側、顕現世界で、「作り出し」が始まるんじゃないか、そんな風に思う。

作り出し・・・生み出し、創造。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!